(一社)対馬観光物産協会ブログ

対馬の観光物産情報をお伝えします。
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≪イベント募集≫西泊砲台に行ってみませんか
上対馬事務所のKです。
来月のイベント下見のため、上対馬町網代と冨浦の境界にある「西泊砲台」に行ってきました。

監視所からの眺めは最高でした。
尉殿崎灯台や殿崎が見渡せます。


監視所のほか砲座などあります。

監視所

監視所内部

砲座

軍道などは崩れており、滑りやすい斜面を登り降りしますので十分注意ください。


≪西泊砲台散策・参加者募集≫
日時 平成30年1月14日(日) 9時30分〜14時30分
集合場所 上対馬総合センター駐車場 9時30分
雨天時  小雨決行。中止の場合は前日午後5時までに連絡します。
参加費  100円(保険代、資料代含む)当日徴収
定員   20名
締切   1月9日(火)午後5時まで
案内人  小松津代志
主催   (一社)対馬観光物産協会上対馬部会
     電話86−4839 FAX86−3813
その他  山歩きできる服装、防寒対策、弁当、飲み物



記事カテゴリ: 対馬砲台群を歩く
対馬砲台群を歩く・まとめ
 こんにちは、砲台探索がひと段落して真っ白に燃え尽きた感のある観光担当Nです。
 (嘘です)

 さて、ブログの記事はどんどん流れていってしまうので、探索の記録をまとめてみました。

対馬砲台群紹介パンフレット
 >>「対馬砲台あるき放題 〜対馬要塞まるわかりガイドブック〜」



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対馬砲台群の紹介

【対馬要塞の概要】

対馬の代表的な砲台
第1期 芋崎砲台
第2期 城山砲台・姫神山砲台・上見坂堡塁
第3期 豊砲台
おまけ 現代: 海栗島レーダー基地、7世紀: 古代山城・金田城、15世紀末: 清水山城

対馬要塞について
http://blog.tsushima-net.org/?eid=640



DSC08261(折瀬鼻高砲台)_small.jpg

対馬砲台群調査 折瀬鼻(おりせばな)砲台・竹敷水雷艇隊基地

【日時】 2011年2月6日(日)
【内容】 多功崎(たこうざき)砲台・樫岳(かしだけ)砲台・郷山(ごうやま)砲台・飛岳(とびだけ)観測所へのルート・保存状態の確認

【日時】 2011年2月14日(月)
【内容】 竹敷水雷艇隊基地・貯水槽へのルート・保存状態の確認

対馬砲台群調査 折瀬鼻(おりせばな)砲台・竹敷水雷艇隊基地
http://blog.tsushima-net.org/?eid=698



DSC08734_small.jpg

対馬砲台群調査 尾崎三砲台

【日時】 2011年2月21日(月)
【内容】 多功崎(たこうざき)砲台・樫岳(かしだけ)砲台・郷山(ごうやま)砲台・飛岳(とびだけ)観測所へのルート・保存状態の確認

対馬砲台群を歩く 「多功崎砲台・樫岳砲台・郷山砲台編」
http://blog.tsushima-net.org/?eid=706



DSC09975_small.jpg

対馬砲台群調査 西泊(にしどまり)砲台

【日時】 2011年4月29日(火)
【内容】 西泊(にしどまり)砲台へのルート・保存状態の確認

対馬砲台群を歩く 「西泊砲台編」、トレッキングルート調査 「撃方山編」
http://blog.tsushima-net.org/?eid=720



DSC00072_small.jpg

対馬砲台群調査 番外編 陸防

【内容】 陸軍境界標石、通称「陸防」について

「陸防」マニアと郷山砲台ウォーク
http://blog.tsushima-net.org/?eid=731



DSC00417_small.jpg

「対馬砲台群 郷山砲台ウォーク」(対馬観光物産協会主催イベント)

【日程】 2011年5月28日(土)
【参加者】 約20人
【内容】 郷山砲台のガイド実践

「対馬砲台群〜姫神山砲台ウォーク〜」の実施について
http://blog.tsushima-net.org/?eid=795





対馬砲台群調査 姫神山(ひめがみやま)砲台

【日時】 2011年8月30日(火)
【内容】 姫神山(ひめがみやま)砲台へのルート・保存状態の確認

対馬砲台群を歩く  「姫神山(ひめがみやま)砲台編」
http://blog.tsushima-net.org/?eid=767



砲座跡

対馬砲台群調査 上見坂堡塁(かみざかほうるい)

【日時】 2011年8月30日(火)
【内容】 上見坂堡塁(かみざかほうるい)へのルート・保存状態の確認

対馬砲台群を歩く  「上見坂堡塁(かみざかほうるい)編」
http://blog.tsushima-net.org/?eid=771





対馬砲台群調査  大崎山(おおさきやま)砲台

【日時】 2011年8月30日(火)
【内容】 大崎山(おおさきやま)砲台へのルート・保存状態の確認

対馬砲台群を歩く  「大崎山(おおさきやま)砲台編」
http://blog.tsushima-net.org/?eid=772



姫神山砲台・砲座

対馬砲台群 ガイド養成 大船越〜姫神山砲台〜万関

【日時】 2011年10月8日(土)
【内容】 対馬を中心とした幕末から明治にかけての日露関係の現地(大船越〜姫神山砲台〜万関)研修

中対馬ガイド養成「大船越〜姫神山砲台〜万関」編
http://blog.tsushima-net.org/?eid=784



砲台の扁額

対馬砲台群調査 芋崎(いもざき)砲台・大平(おおひら)(低)砲台

【日時】 2011年10月11日(火)
【内容】 芋崎(いもざき)砲台・大平(おおひら)(低)砲台へのルート・保存状態の確認
【成果】 昭和17年の高射砲座・石碑の発見

対馬砲台群を歩く 「芋崎砲台・大平砲台編」
http://blog.tsushima-net.org/?eid=785



記念撮影

「対馬砲台群 姫神山砲台ウォーク」(対馬観光物産協会主催イベント)

【日程】 2011年10月29日(土)
【参加者】 約30人
【内容】 ポサドニック号事件〜対馬要塞構築までのガイド実践

「対馬砲台群〜姫神山砲台ウォーク〜」の実施について
http://blog.tsushima-net.org/?eid=795



謎の建物その2

対馬砲台群調査 四十八谷(しじゅうやたに)砲台

【日時】 2011年11月8日(火)
【内容】 砲台へのルート(シーカヤックによる海路ふくむ)・保存状態の確認
【成果】 海軍水雷衛所の発見

対馬砲台群を歩く 「四十八谷(しじゅうやたに)砲台編」
http://blog.tsushima-net.org/?eid=799



砲台探検隊

対馬砲台群調査 竜ノ崎(たつのざき)砲台・豆酘(つつ)砲台

【日時】 2011年11月25日(金)
【内容】 砲台へのルート確認・保存状態の確認、対馬要塞地帯標の確認

対馬砲台群を歩く 「竜ノ崎砲台・豆酘砲台編」
http://blog.tsushima-net.org/?eid=809



大平(高)砲台

対馬砲台群調査 芋崎半島・大平(高)砲台

【日時】 2011年11月26日(土)
【内容】 芋崎半島の探照灯設備の確認、大平(高)砲台へのルート・保存状態の確認

対馬砲台群を歩く 「芋崎半島・大平(高)砲台編」
http://blog.tsushima-net.org/?eid=810



棲息掩蔽部のレンガ積み

対馬砲台群 ガイド養成 城山砲台・城山付属堡塁

【日時】 2011年12月3日(土)
【内容】 砲台までのルート・棲息掩蔽部等の確認

対馬砲台群を歩く 「城山砲台・城山付属堡塁編」
http://blog.tsushima-net.org/?eid=811



動力庫

対馬砲台群調査 対馬北部・昭和期の砲台と万歳峠

【日時】 2011年12月5日(月)
【内容】 棹崎(さおざき)砲台・豊(とよ)砲台・臼崎(うすざき)砲台、万歳峠
【成果】 砲台までのルート・保存状態の確認、対馬要塞地帯標(大正13年7月3日、第2号)の発見、万歳峠までのルート確認

対馬砲台群を歩く 「棹崎砲台・豊砲台・臼崎砲台編」
http://blog.tsushima-net.org/?eid=812



温江砲台1

対馬砲台群調査 豊玉町の三砲台

【日時】 2011年12月8日(木)
【内容】 温江(ぬくえ)砲台、大石浦(おおいしうら)砲台、小松崎(こまつざき)砲台の調査
【成果】 砲台までのルート・保存状態・砲座の確認、石切り場の発見


対馬砲台群を歩く 「温江砲台・大石浦砲台・小松崎砲台編」(フィナーレ)
http://blog.tsushima-net.org/?eid=820



桜マークの謎のビン

対馬砲台群調査 番外編 ガラス瓶

【内容】 砲台周辺で発見された昭和初期のガラス瓶について

対馬砲台群 こぼれ話 〜昔のガラス瓶〜
http://blog.tsushima-net.org/?eid=822



司令所

対馬砲台群調査 尾崎三砲台

【日時】 2012年3月6日(土)
【内容】 尾崎半島の飛岳司令所、多功崎砲台、樫岳砲台、郷山砲台の調査
【成果】 樫岳砲台の司令所・観測所の確認

対馬砲台群を歩く・リターンズ〜尾崎三砲台制覇〜
http://blog.tsushima-net.org/?eid=852



記念写真

「対馬砲台群 尾崎砲台ウォーク」(対馬観光物産協会主催イベント)

【日時】 2012年3月10日(土)
【参加者】約30人
【内容】 対馬砲台群・尾崎砲台のガイド実践

2012/3/10(土) 「尾崎砲台ウォーク」について
http://blog.tsushima-net.org/?eid=853
記事カテゴリ: 対馬砲台群を歩く
2012/3/10(土) 「尾崎砲台ウォーク」について
 こんにちは、事務所にいると電話に、家にいると子どもに襲撃されて仕事がはかどらない観光担当Nが、大阪からお届けします。
 2012年3月10日(土)、今年度最後の砲台イベント「対馬砲台群 尾崎砲台ウォーク」を開催しましたので、報告です。

砲台ウォーク参加者のみなさん
 今回の参加者は小学生から年配の方まで、約30名。
 マニアックで誰からも相手にされなかった対馬要塞ウォーク(いまだに、砲台で人が呼べるのか?と懐疑的な声も多いのですが、無視(殴))も、回を重ねるごとに参加者も増え、定着してきました。
 珍しく天候にも恵まれ、喜びもひとしおです。おかげさまで〜<(_ _)>

石橋
 明治期の砲台には、江戸時代の石工の技術と、欧米から学んだ土木技術がともに活かされています。

石の側溝
 100年たっても崩れていない石の側溝です。雨水による軍道の崩壊を防ぐため、軍道には必ず側溝が整備されています。

陸防
 「む?!なんか陸防のにおいが・・・」
 郷山砲台に向かう途中、砲台担当Sがケモノのような直感で、ちょっと外れた位置にある陸防を発見。
 私(N)が、参加者をほったらかして(殴)陸防を辿り、急斜面を登ると・・・。

飛岳司令所
 なんと、本来はずっと離れた位置にあるはずの飛岳司令所に到着。
 軍道(馬車道)とは別に、兵隊が伝令などの際に使う近道が縦横に張り巡らされているようです。

郷山砲台
 郷山砲台は現在、対馬観光物産協会の事業で整備中です。
 廃棄自動車も撤去され、だいぶ明るい雰囲気になりました。

無線所の景観
 郷山砲台の先にある無線所跡。
 浅茅湾の北岸や朝鮮半島方面の水平線を一望できる展望所です。絶景!

砲台ガイド
 今回のガイドは小松津代志さん。
 「Nくん、地図の砲台の位置に石ころを置いて」(小松さん)
 「えー、城山に2つ、尾崎に4つ、芋崎、大平に2つ、姫神山、折瀬・・・」(N)
 「大山も、温江も、大石浦も!」(S)
 「砲台ばっかりやん!!」(参加者)

砲台巡礼
 砲台の聖地、尾崎の斜面を巡礼する参加者のみなさん(殴)

観測所
 多功崎の司令所を見学した後、小松さんが、
 「Nくん、この先に軍道が続いているみたいだから、見てきて」

多功崎砲台の観測所
 行ってみると、なんと・・・観測所やないかーい!!(新発見!)
 しかも、かなりよい状態です。
 郷山の観測所は以前から確認していましたが、樫岳は前回の下見で、多功崎は今回確認できました。
 尾崎の三砲台(郷山、樫岳、多功崎)にはそれぞれ観測所があり、飛岳の観測所と連携していたようです。

記念写真
 こうして、新発見もあり、イベントも無事終了。
 参加者のみなさま、スタッフのみなさん、ありがとうございました。

 幕末から明治にかけての対馬の歴史(日本、ロシア、イギリスなどの歴史とも複雑に絡み合います)を体感できる対馬砲台群・砲台ウォークを楽しんでみませんか?
 対馬要塞を知らずして、明治を語るのはモグリですよ〜。
 「坂の上の雲」ではあまり描かれなかったけどね〜(殴)

記事カテゴリ: 対馬砲台群を歩く
対馬砲台群を歩く・リターンズ〜尾崎三砲台制覇〜
 こんにちは、今日からまたまた大阪に出張している観光担当Nです。
(ちなみに明日は長男の卒園式で、父親ポイント大幅マイナスです(-_-;))

 3月6日(火)、砲台ウォークイベントの下見のため、美津島町尾崎の三砲台+αの現地下見を実施しましたので、ごく一部のマニア(全国で5人くらい)から熱烈な支持をうけている幻の企画「対馬砲台群を歩く」の続編をお届けします。
 ちなみに美津島町の尾崎半島は、明治期の砲台が3つ、昭和期の砲台が1つある砲台の聖地(殴)です。

砲台部員S
 ひさびさに登場。砲台三叉路をさまよう砲台担当S。

飛岳司令所
 飛岳にある立派な司令所。
 実は、尾崎の三砲台が完成したのは、日露戦争が終わってしまった後の明治38年9月。
 お偉いさんのためにこんな物を造る暇があったら、完成を急げばよかったのに(殴)。

飛岳観測所
 観測所には、ツシマジカが食べないシロダモが茂っていました。
 着工前。

作業中
 作業中。

工事完了
 工事終了。綺麗になりました。

陸防
 砲台の聖地らしく、陸防もよりどりみどり。
 「陸防の玉手箱やーん!」

多功崎砲台
 砲台三叉路の真ん中を進むと、多功崎砲台です。
 国土地理院の地図を見ると、海に降る怪しい道が続いています。
 「これは怪しいな・・・」
 「うむ・・・軍道くさい・・・」

陸防
 やっぱり軍道。「陸軍省用地」と彫ってある珍しい陸防を発見。

石の護岸
 海辺には、巨大な門柱、石造りの護岸、さらには橋まで。
 新発見でテンションが上がります。

巨大な門柱
 門柱も、身長的には決してS(サイズ)ではない砲台担当Sと比較してもこの大きさ。

謎の建造物
 海岸には、石造りの謎の建物の跡と「逓信省」の石柱が・・・。
 地元の方は「通信所」と呼んでいたそうです。海底ケーブルなどの軍事通信施設でもあったのでしょうか。

斜面を這う
 「三叉路まで戻るのもしんどいなー」
 「尾根を歩いてみようか、地図に道はないけど」

観測所
 道なき道の急斜面を這い上がると、尾崎半島東側の樫岳砲台の観測所を発見!
 「すげー!観測所や!!」(N)
 「ふはー!ふほー!」(まだ斜面を這っているS)

司令所への階段
 さらに!かなり高く長い階段が!
 こんな物造ってる暇があったら、完成を急げばよかったのに!!(殴)

司令所
「うおー!司令所まであるやん!!新発見かもー!!!」

樫岳砲台の砲座
 新発見かも、とドキドキしながら砲台の専門家・小松さんに電話してみると
「うん、あるよ。砲座の先の荒れた道の奥やろ」
(がーん!!)

イノシシのアスカ
 一気にテンションが下がり、とぼとぼと郷山砲台を目指していると、道路上でイノシシと遭遇。
 今年は特に多いようです。

郷山砲台
 整備中の郷山砲台です。 今回は三砲台+飛岳司令所で約12キロの行程でした。
 この日に樫岳の観測所を発見し、あとは多功崎砲台の観測所だけだなあ、と思っていたら、なんと3/10(土)のイベント当日に見つけてしまうことになったのでした。
記事カテゴリ: 対馬砲台群を歩く
対馬砲台群 こぼれ話 〜昔のガラス瓶〜
 こんにちは、3日間砲台に行かないと手が震えてしまう観光担当Nです。
(信じないように)

 最近facebook(フェイスブック)を始めましたが、使い方がさっぱりわかりません。
 とりあえずプロフィールのページを見てみましたが、興味のあるジャンルで、「トレッキング」いいね!約2300人、「神社」いいね!約2000人に対し、「砲台」いいね!は5人・・・。
 5人・・・って(-_-;)

 「姫神山砲台の右翼観測所、なう」とかやってみたかったのですが、よく考えたらスマホを持ってないし、砲台跡は圏外が多く(勝手に韓国経由の国際電話になることも)、リアルタイムの情報発信は無理でした・・・(-_-;)


 さて、どうでもよい長い前置きは置いといて(-_-)//

 今回は砲台跡でよく見かけるガラス瓶のお話です。
 砲台跡は、基本的に薄気味悪くて一般人があまり近づかないので(殴)、数十年前のガラス瓶などがよい状態で残されています。
 金属の容器(缶詰とか)はすぐに錆びて朽ちてしまいますが、ガラスは破損さえしなければ100年経っても大丈夫。

ビン3本
 洗浄すればピカピカになります。

三○詰
 三○詰。 ○の偏は「立」、つくりは「分」。何と読むでしょう。
 さんぶんづめ?さんりつづめ?
 実は、○=デシリットルだそうです。

桜麦酒株式会社
「社會式株酒麥櫻」 右から左に読むと、「桜麦酒(ビール)株式会社」
 福岡で設立された会社で、旧帝国ビール。
 1939(昭和14年)-1943(昭和18年)にかけて、櫻ビールを製造していたようです。

ロゴ桜
 桜のロゴがかわいいです。

大日本麦酒
 こちらは、「社會式株酒麥本日大」=「大日本麦酒(ビール)株式会社」
 1906(明治39年)-1949(昭和24年)にかけて市場の70%を占めた巨大メーカーで、戦後、サッポロビールとアサヒビールに分割されたそうです。

謎のロゴ
「山B」? ロゴはよくわかりません・・・。

ビン底
 なんと、ビンの底には星マークが! 9・6は、昭和9年6月(製造)?

KYUSEI CITRON
 こちらは、砲台探索の帰り道に見つけたビンです。
 上記の「大日本麦酒株式会社」のビンと同じですが、かすれたラベルには「KYUSEI CITRON」の文字。
 同社の「RIBON CITRON」(リボン シトロン)は1909年に発売され、現在でもサッポロ飲料が販売しているロングセラーですが、KYUSEI CITRONという姉妹品があったんでしょうね。
 ネットでもまったく情報がなく、詳細は不明。

靴墨?
「日靴塗聯」
 靴墨でしょうか。

桜マークの謎のビン
 桜のマークが印象的な謎のガラス瓶。


 いずれも明治期の砲台ですが、昭和初期のガラス瓶ばかりなのが不思議です。
 謎は深まります・・・。


 ウルトラ・マニアックな砲台ウォーキングのお申し込みは、
>>対馬観光ガイドの会やんこもまで!
 おすすめは、明治期の姫神山砲台城山砲台など。
 ちょっと遠いですが昭和期の豊砲台はレンタカー・タクシーであれば砲台入口前に駐車できます。

 あ、もちろん通常の歴史散策(まち歩き)や原生林トレッキングも受付中です<(_ _)>
記事カテゴリ: 対馬砲台群を歩く
対馬砲台群を歩く 「温江砲台・大石浦砲台・小松崎砲台編」(フィナーレ)
 こんにちは、砲台人間ベロこと観光担当Nです。

「それは、仕事なの?趣味なの?」
「ブログの写真が枯れ葉色ばかり」
「『坂の上の雲』、本当に対馬出るの?」

 といわれなき非難を浴びている(ような気がする)「対馬砲台群を歩く」シリーズですが、2011年12月8日(木)にいよいよフィナーレを迎えました(たぶん)。
 今回は、対馬でもっとも古い明治21年竣工の4砲台のうちの2つ、温江(ぬくえ)砲台・大石浦(おおいしうら)砲台と、逆にもっとも新しい太平洋戦争末期の小松崎(こまつざき)砲台を調査しました。

豊玉町貝鮒入口
 まずは対馬市豊玉町貝鮒(とよたままちかいふな)へ。貝鮒集落の丘の上にお寺があり、そこが温江砲台の入り口になります。

温江砲台への道
 湾沿いの道を歩いていきます。奥は湿田状になっており、鴨などの冬鳥がにぎやかでした。

陸防
 砲台探索の基本となる陸防(境界標石)を発見。多くの場合、砲台へ続く軍道に沿って設置されています。

温江砲台1
 竹やぶを覚悟していましたが、途中、植林地の間伐のためにやぶも伐採されており、あっさりと弾薬庫に到着。
 写真を撮る砲台人間ベラこと担当Sと、今回、休日なのに案内していただいた砲台人間ベムこと(殴)対馬観光ガイドの会やんこも副会長・砲台の専門家・小松津代志さんです。

温江砲台2
 写真右側に数m四方の井戸がありますが、表面に落ち葉が浮いておりまったくわからない状態でした。
 気づかず落ちる危険性があるため、注意してください。
(ここまで来る人がいれば・・・の話ですが)

温江砲台3井戸
 しつこいですが、要注意。

温江砲台・軍道
 海岸に続く道です。明治時代中期に、岩盤を掘削してこんな道を作ったんですね。

温江砲台・額
 温江砲台は、
「明治20年4月起工、明治21年3月竣工。工兵長 陸軍工兵中尉 時尾善三郎」。
 まったくレンガを使用せず、石だけで築かれています。
 12センチカノン4門が設置されていました。
 ちなみに砲台がある山の名前は「遠見山」。おそらく江戸時代に異国船監視のための遠見(監視所)があったんでしょうね。

大石浦砲台・入口
 続いて豊玉町深里(ふかり)の大石浦砲台を目指します。
 ふだん観光案内でもめったに訪れない地域ですが、道路沿いに砲台入口の看板が立っていました。

陸防
 急斜面を登り、尾根道を歩きます。陸防があるので砲台に間違いないです(^^;)

三角点
 107mのピークに4等三角点がありました。最近設置されたばかりのようです。

砲台担当S
 何もないところで滑るベラことS。
「落ち葉と友達やね」
「うるさい!」

大石浦砲台
 レンガをまったく使用していない弾薬庫。
 120年以上前に完成しているのですが、すばらしい保存状態でした。
 江戸時代の技術を受け継いだ明治の職人の技なんでしょうか。
 木材もよいものを使っているのか、ちゃんと残っていました。

大石浦砲台・額
「明治20年9月起工、明治21年10月竣工。工役長 陸軍工兵中尉 時尾善三郎」。
 起工も竣工も温江砲台より半年遅いのですが、28センチ榴弾砲が6門も設置された大型・本格的な砲台です。

弾薬庫内
 内部には湿気予防の漆喰(しっくい)が塗られ、奥上部には空気穴が開いています。

石切り場
 大石浦砲台ではやたらと「石」が目につきました。
 海に続く道を降りていくと、切り石が積まれている場所があり、近づいてみると・・・。

石切り場2
 石切り場を発見!
 ドリル+発破で石を割り、石材として利用していたようです。
「大石」という地名からして、昔から石の産地だったんでしょうね。
 対馬の砲台では膨大な量の石材が使われていますが、謎が少し解けたような気がします。

帰路
 対馬最初期の砲台を堪能した砲台人間たちでした。
「いやー、石がすごかったね」
「洋物のレンガなんか使わねえ!という明治の職人魂を感じたね」
 会話がウルトラ・マニアックだぞ、砲台人間・・・。


ナベヅル?幼鳥
 豊玉町廻(まわり)に移動すると、田んぼのなかに大きな鳥がいました。
 対馬は野鳥の渡りの中継地なので、冬にはナベヅル・マナヅルなどを目にしますが、群れからはぐれたナベヅルの幼鳥でしょうか。

砲台担当S、ヘロヘロ
 いよいよ最後の小松崎砲台です。
 急斜面の山道で疲労困憊のベラ。
「だいじょうぶかー!」
「ふはー!ふほー!」
(見てわからんかー!)

小松崎からの眺め
 浅茅湾南岸からよく見ていた牛島が目の前にありました。
 対岸は砲台が4つもある美津島町尾崎(みつしままちおさき)。

小松崎砲台・砲座
 小松崎砲台には昭和期の三八式野砲が4門あるはずなのですが、4つ目が見つからず、帰ろうとしていると・・・
「なんか、こっちが怪しい・・・あった!」
 ベラが4つ目を発見し、ミッション・コンプリート!

直降
 そして帰路。明確な道がないので、斜面を直降。
「ふはー!ふほー!」
(はやく人間になりたーい!)
 もしくは
(はやく普通の主婦に戻りたーい!)

車にてコーヒータイム
「コーヒーがうめーなー」(ベラことS)
「さすがの俺も、1日に3つも砲台を歩いたのは初めてやね」(ベムこと小松さん)
 歩数は2万歩を超えていました・・・。

夕暮れ
 職場に着くころにはとっぷりと日が暮れていました(-_-;)


 こうして、「対馬砲台群を歩く」シリーズは終了したのでした。
 対馬の31の砲台のうち、立入禁止になっている根緒の3砲台、郷崎砲台、海栗島砲台、竜ノ崎第1砲台を除く25の砲台を訪れたことになります。

Googleマップ
>>対馬砲台群・砲台マップ「温江砲台・大石浦砲台・小松崎砲台」


対馬砲台群とは、いったい、何だったのでしょうか。
(BGMはNHK歴史秘話ヒストリア風)

 1861年の「ポサドニック号事件」(ロシア軍艦による対馬の浅茅湾(あそうわん)占拠事件)は、帝国主義時代のロシア(とイギリス)の脅威を日本(幕府)に知らしめた、もうひとつの「黒船来航」でした。
 明治維新後、政府の中心にいた薩摩人・長州人は、幕末に外国の軍艦の力を嫌というほど見せつけられた経験もあり、まず東京湾要塞の建設=首都防衛を計画し、次に対馬要塞の建設=浅茅湾(あそうわん)防衛に着手します。
 ポサドニック号事件のように、浅茅湾が外国に奪われれば、そこを足がかりに日本本土が侵攻される危険があったためです。

 まず明治20年代に芋崎・温江・大石浦・大平(低)の4砲台が建設されます。
 明治27〜28年には日清戦争が勃発。
 戦後、浅茅湾の重要性は増し、竹敷(たけしき。対馬市美津島町)に海軍要港部が設置され、水雷艇・駆逐艦の拠点になります。
 明治30年代にはロシアとの軍事的緊張が極限に高まり、14もの砲台・堡塁が浅茅湾周辺に建設。
 明治37〜38年の日露戦争・日本海海戦では、対馬沖が舞台になり、日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を壊滅させます。
(日本海海戦の日本以外での呼称はBattle of Tsushima=「対馬沖海戦」)

(NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を見てください<(_ _)> )

 皮肉なことに、日露戦争の勝利後、日本が韓国を併合したため、対馬は「国境の島」ではなくなり、その重要性も低下し、大正元年、竹敷要港部は廃止。
 そして軍事的緊張がふたたび高まった昭和初期、対馬の北部に豊砲台、南部に竜ノ崎砲台などの巨大砲台が建設され、壱岐・朝鮮半島の砲台と連携して日本海の入口を封鎖する役割を果たします。
 敗色が濃くなった大戦末期、重厚・堅牢な名要塞がいくつも建造されてきた対馬に、「粗末な急造の砲台」が登場します。
 戦争開始期には想定しなかった、外国による日本本土上陸作戦に備えるためでした。

 1945年8月6日、広島に原爆投下。
 同年8月9日、長崎に原爆投下。
 同年8月15日、日本、ポツダム宣言を受諾。終戦。

 戦時体制最後の総理大臣は、若き日に竹敷で水雷艇・駆逐艦を指揮して日清戦争・日露戦争を戦った鈴木貫太郎でした。


 戦後、要塞法による制約が解かれ、対馬砲台群を守る人もいなくなり、一部は鉄を取るために破壊され、一部は石材を剥がれ、一部は公園化されました。
 高台にある砲台は絶好の遠足地でしたが、樹木に覆われて展望が利かなくなると訪問する人も減り、次第にその存在を忘れられていきました。
 かつて、莫大な予算と高度な技術で建設された対馬砲台群は「戦争の負の遺産」として見られ、特に保護されることもなく、現在に至っていますが、一部の有志により看板が設置され、書籍が発行されるなどの地道な活動が続いています。

 2010〜11年 対馬市・対馬観光物産協会による姫神山砲台の整備(支障木伐採、看板設置、道路整備)、対馬砲台群ウォークイベント実施。
 2011年11月18日 「深浦水雷艇隊基地跡」が土木学会選奨土木遺産に認定。
 年末NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」最終部放送。
 2012年 郷山砲台整備予定。対馬砲台ガイドブック作成予定。


 対馬の歴史は、日本の外交の歴史そのものです。
 対馬砲台群は、幕末に欧米列強の強大な圧力を受けた小国・日本がいかにして中央集権国家を築き、アジアや欧米の国々とどのようにかかわってきたかという100年を超える歴史物語を、森の奥でひっそりと、現代に伝えているのです。



 おいら怪しいものじゃないよ!
 はやく普通の職員にもどりたーい!
 ブログの記事がながーい!
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対馬砲台群を歩く 「棹崎砲台・豊砲台・臼崎砲台編」
 2011年12月5日(月)、前日にNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第3部の放映が始まり、焦った要塞部員2名は、棹崎(さおざき)砲台・豊(とよ)砲台・臼崎(うすざき)砲台、おまけの万歳峠の調査を行いました。

イノシシ
 90分かけて北上した上県町佐護の棹崎公園で、いきなりオッコトヌシ様(もののけ姫)に遭遇(-_-;)
 今年はやたらとイノシシを見かけます。

棹崎公園
 昭和期に建設された棹崎砲台は、棹崎公園として整備され、1997年には対馬野生生物保護センターが開館しました。
 現在、センターでは、ツシマヤマネコが一般公開されています。

砲座跡・・・
 砲座跡・・・。公園なので・・・。

対馬北部の眺望
 前々日には、対馬中部の城山から韓国が見えましたが、この日は快晴なのに対馬北部の棹崎から韓国が見えませんでした。
 晴れていれば見える、という訳でもないようです。

日本最北西端の碑
 日本最北西端の碑。

砲座跡・・・
 砲座跡・・・。いや、公園なので・・・。

観測所
 公園には似つかわしくないコンクリートの観測所(殴)

観測所内部
 内部はこんな感じ。

棹崎の展望
 公園として整備されていますが、砲台としての面影はあまり感じられません。
 敷地内の対馬野生生物保護センターでは、マジックミラー越しにツシマヤマネコを見学することができます<(_ _)>

棹崎砲台 四五式15cmカノン4門、起工:昭和11年7月、竣工:昭和13年3月。


豊砲台入口
 そして砲台部員2名は、上対馬町豊(とよ)にある豊砲台へ。
 大正時代のワシントン海軍軍縮条約により不要となった巡洋戦艦「赤城」の45口径砲塔40cmカノン2門を移設する形で昭和9年に完成したもので、当時は世界最大の巨砲でした。

通路
 入口のボタンを押すと30分間照明が点灯します。前回の竜ノ崎砲台とは大違いで安心。

動力庫
 動力室の様子。

水圧蓄力機(上部)
 豊砲台の巨大な砲身(全長18.5m、100トン以上)は水圧で稼動していたようです。水圧蓄力機の上部。

水圧蓄力機(下部)
 水圧蓄力機の下部。

砲塔(上部)
 砲塔上部。ぽっかりと空が切り取られていました。

砲塔(下部)
 砲塔部と砲台担当S。
 「でけーなー」

通路
 通路。近代要塞という言葉がぴったりです。

出口付近
 出口付近は一部が破壊されています。
 戦後にGHQの解体班が武装解除(爆破)を試みましたが、あまりに堅牢で、途中で諦めたとか。

砲塔を見下ろす
 外に出て、砲台に向かって右側の斜面を登っていくと、砲塔部の上に出ます。

 豊砲台は結局、実戦では一度も発射することがなく、「撃たずの砲台」と揶揄(やゆ)されることもありますが、第2次大戦時に日本海側の都市に艦砲射撃による被害がなかったのは、対馬要塞の強力な火砲による威圧の効果が大きかったためです。

豊砲台 45口径40cmカノン×2、起工:昭和4年5月、竣工:昭和9年3月。


万歳峠入口
 えー、以前から気になっていた「万歳峠登リ口」の石碑。
 日本海海戦では、日本の海軍連合艦隊と、ロシアのバルチック艦隊が対馬沖で激戦を繰り広げますが、対馬北部の住民は、それぞれ山に登って戦争の様子を観戦していました。
 日本が勝ち、島民が「万歳!」をした場所だとか。
 ここから細い山道を登ってみたのですが、えらい目に逢いました(-_-;)

対馬要塞地帯標
 対馬要塞地帯標(大正13年7月3日、第2号)を発見!

植林の森
 万歳峠に出るはずが、植林地の作業道が造成され、途中で道が消えていました。
 「ここが万歳峠、ってことにしとこうか・・・」

作業道
 1キロ以上歩いたのに目的地に到達できず、同じ山道を帰るのもつまらないので、作業道を降りることにしたところ・・・。

万歳峠の石碑
 偶然、万歳峠の石碑を発見(-_-;)

万歳峠・新入口
 立派な作業道を降ると、登リ口石碑の数十メートル下に出ました。
 「こっちから登ってれば、あんなに山道歩かんですんだんじゃい!」
 「まあ、おかげで地帯標を発見したじゃないの」

日本海海戦レリーフ
 上対馬町殿崎の巨大レリーフです。日本海海戦100周年の2005年に設置されました。
 日本海海戦で負傷して捕虜となったバルチック艦隊司令長官・ロジェストウェンスキーを見舞う連合艦隊司令長官・東郷平八郎の図が描かれています。

生きる力の井戸
 上対馬町殿崎(とのさき)の「生きる力の泉」です。
 壊滅したバルチック艦隊の敗残兵が対馬北部に漂着し、島民は水や食料、宿を与えて手厚く看護しました。その多くは捕虜となり、無事ロシアに帰ることができました。
 1861年(文久元年)、ロシア軍艦による対馬侵略から始まった対馬とロシアの因縁は、44年後の1905年(明治38年)、傷ついたロシア兵を島民が助けるという形で幕を閉じたのです。

臼崎砲台
上対馬町五根緒(ごねお)の臼崎砲台・・・。
昭和期の三八式野砲らしいですが、規模も小さく、もはや何がなんだかわからない状態でした。

夜のとばり
 北部から対馬市役所までは車で2時間。すっかり日が暮れてしまいました。
 「明日、浅茅湾の2砲台を調査して、木曜に豊玉の3砲台を調査すれば、対馬砲台群、終了・・・」
 「もう勘弁してください」


Googleマップ
>>対馬砲台群・砲台マップ「棹崎砲台・豊砲台・臼崎砲台」
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対馬砲台群を歩く 「城山砲台・城山付属堡塁編」
 こんにちは、イベント当日に雨雲を召還できる男、観光担当Nです。
 2011年12月3日(土)、中対馬地区ガイド養成事業の一環として、美津島町黒瀬城山(じょうやま)の城山砲台・城山付属堡塁(ほうるい)の現地確認を行いました。

 城山・城山付属の両砲台は、日露戦争にそなえて明治30年代に築かれた第2期の陸軍要塞です。
 西暦667年に天智天皇が築いた古代山城・金田城(かなたのき)を明治の陸軍が再整備し、1200年の時を超えて復活したことになります。
 ちなみに、「砲台」の目的は主に海岸に接近する軍艦への攻撃ですが、「堡塁」の目的は上陸してきた敵兵の侵攻を阻むことです。

城山登山口
 城山登山口にて。今回は、ふだん行かない付属堡塁を目指すので、念入りに準備運動です。

国指定特別史跡記念碑
 金田城は来年、国の特別史跡に指定されて30周年を迎えます。10月には対馬で古代山城サミットが開催される予定です。

城山の軍道
 幅3mの軍道が山頂近くまで整備されており、絶好のトレッキングルートになっています。

金田城・石塁
 1350年前に防人(さきもり)が築いた石塁(せきるい、城壁)が残されています。

軍道の水路
 城山は巨大な岩石の塊です。明治の工兵は、岩盤に穴を空け、発破をかけ、沢に石を積み、軍道を作りました。
 道路崩壊の原因となる水の処理も見事です。

発破跡
 ドリルの跡です。もともとの工期は明治34年6月でしたが、あまりに岩盤が硬く、9月まで延長し、さらに50日延長して11月に完成しました。

棲息掩蔽部
 山頂近くの石が積まれた三叉路を奥に進むと、棲息掩蔽部(弾薬庫など)が姿を現します。

軍道の雰囲気
 そのまま南に進むと、城山付属堡塁への道。

浅茅湾の景観
 ところどころ浅茅湾を一望できます。

棲息掩蔽部のレンガ積み
 城山付属堡塁の棲息掩蔽部も、イギリス積みのレンガづくり。

浅茅湾の景観
 砲座跡(山頂)の前は断崖絶壁。最高の眺めでした。しかも、お弁当タイムには、翼を拡げると2mを超える大型猛禽類オオワシ(オジロワシだったかも)が舞うというサプライズも。
 オオワシ・オジロワシは冬に対馬に飛来しますが、今年は初めて見ました。

城山付属堡塁 9cm臼砲4門、起工:明治33年4月、竣工:明治34年11月。


観測所
 そして一行は城山砲台へ。
 城山の右翼観測所は、姫神山砲台のレンガ円柱タイプとは異なり、石材3本柱タイプ。

砲座
 砲座は、28センチ榴弾砲2門×2。巨砲の土台なので、堅牢な作りです。

山頂からの眺め
 砲台跡から少し登ったところにある城山山頂。この日は韓国の陸影まで見えました。

北白川宮能久親王の記念碑
 山頂の竹やぶの奥に、明治の皇族・北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう)の石碑。世が世なら明治天皇になっていたかもしれず、留学先のドイツでは貴族の未亡人と恋に落ち婚約(のち破談)、日清戦争後に軍人として台湾に出征し、そこで病没するという激動の生涯でした。

帰路
 こうして現地確認が終わったのでした。城山山頂までは往復5.4キロ、付属堡塁までは+2.4キロです。付属堡塁は、雑草の少ない11月〜3月ころまでがお勧めです。

城山砲台 28センチ榴弾砲4門、起工:明治33年4月、竣工:明治34年11月。


【交通アクセス】

厳原港→(国道382号線を北上9.3km)→十八銀行美津島支店前交差点(西に進んで県道24号線を6.2km)→箕形・竹敷交差点を箕形方向に直進→県道24号線城山入口(舗装・未舗装の管理道を1.8km)→城山入口(看板あり)→徒歩2.2km→城山砲台・城山付属堡塁分岐点→(徒歩0.2km)→城山砲台→(徒歩0.2km)→城山山頂
※砲台・堡塁分岐点から、堡塁側(南)へ1.2km進むと城山付属堡塁。
※対馬空港から十八銀行美津島支店前交差点までは、県道64号線を南下1km、右折して国道382号線に進み南下2km

Googleマップ
>>対馬砲台群・砲台マップ「城山砲台・城山付属堡塁」
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対馬砲台要塞群を歩く 「芋崎半島・大平(高)砲台編」
 こんにちは、NHK大河ドラマ「江」が終了し、「坂の上の雲」の予告映像がたくさん流れていますが、対馬は原作並みに登場するのだろうか、と一抹の不安を隠せない観光担当Nです(-_-;)
 さて、2011年11月26日(土)、中対馬ガイド養成事業の一環として、美津島町昼ヶ浦の芋崎半島と、同地区の大平(高)砲台の調査を行いました。

※今回は、対馬砲台群を歩く 「芋崎砲台・大平(低)砲台編」の続編になります。

芋崎入口
 芋崎砲台へ続く山道入口に集合です。案内板には、ロシア軍艦による芋崎占拠の説明文と地図が描かれています。

川浦の風呂跡
 幕末の文久元年(1861年)、ロシア軍艦・ポサドニック号が芋崎を半年間占拠しました。結局、イギリス軍艦の圧力により対馬を退去するのですが、風呂や井戸などの痕跡が残されており、長期間居座る意図があったようです。

芋崎砲台
 一通り芋崎砲台を見学した後・・・

芋崎半島を歩く
 芋崎半島を北上すると・・・。

探照灯
 探照灯設備がありました。今で言うサーチライトで、夜間も海を照らして監視を行います。

陸防と海防
 陸防(陸軍境界標石)と海防が仲良く並んでいました。

芋崎から浅茅湾を眺望
 芋崎から見る浅茅湾(あそうわん)です。朝鮮半島方向に口を開いています。

芋崎砲台からの帰路
 この後、ロシアの井戸を見学して、帰途につきました。
 参加された皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました。


 そして、トレッキングガイドのNさんと砲台部員2名は、前回調査不足だった大平(高)砲台へ。
 大平(高)砲台 12cmカノン4門、起工:明治31年10月、竣工:明治34年10月。

大平(高)砲台
 分岐点を、前回と異なるルートに進むと、すぐにレンガ造り(イギリス積み)の棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ。弾薬庫などに利用)が出現しました。
 保存状態も非常によい感じでした。

三点濾過式の井戸
 明治期の砲台跡でよく見かける三点濾過式の井戸を発見。
「やっぱり、あったねえ。明治の砲台やねえ」
(すっかり砲台モードに戻っているS)

半地下式の棲息掩蔽部
 半地下式の掩蔽部もありました。
「やっぱり、明治の砲台はいい仕事してるねえ」
(すっかり砲台モードに、以下略)

大平(高)砲台から浅茅湾眺望
 大平(高)砲台からは浅茅湾を一望でき、芋崎が正面に見えるなど、抜群のロケーションです。
 砲座・観測所などの施設がはっきりしないものの、県道からの距離もそれほどではなく、芋崎砲台・芋崎半島と絡めたトレッキングルートとして手応えを感じました。

 ロシアと対馬の因縁の地「大船越・芋崎」から、芋崎砲台・大平(低・高)砲台の整備、竹敷海軍要港部の設置、深浦水雷艇基地の建設など、幕末から日露戦争終結に至る一連の歴史の流れを、コンパクトに現地で体感することができるルートとなりました。

【交通アクセス】

厳原港→(国道382号線を北上9.3km)→十八銀行美津島支店前交差点(西に進んで県道24号線を1.5km)→箕形・竹敷交差点を右折(県道197号線に入り、5.7km)→芋崎砲台軍道入口(看板あり、徒歩1.3km)→芋崎砲台
※芋崎砲台軍道入口から道なりに0.9km車で進むと大平(低)砲台
※大平(低)砲台の左手(砲座がない方)の斜面から大平(高)砲台へ。
※対馬空港から十八銀行美津島支店前交差点までは、県道64号線を南下1km、右折して国道382号線に進み南下2km

Googleマップ
>>厳原港〜対馬市美津島町昼ケ浦
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対馬砲台群を歩く 「竜ノ崎砲台・豆酘砲台編」
 こんにちは、観光担当Nです。
 2011年11月25日(金)、韓国旅行ですっかり砲台の毒気が抜けた感のある担当Sを元の世界に引き戻すべく(殴)、厳原町安神(いづはらまちあがみ)の竜ノ崎第2砲台と、同町豆酘(つつ)の豆酘砲台の調査を行いました。
 対馬の砲台は、第1期(日清戦争前、明治20年代)、第2期(日露戦争前後、明治30年代)、第3期(第2次大戦前、大正〜昭和10年代)に分類されますが、両砲台は昭和期に完成した第3期の砲台になります。

 安神には竜ノ崎第1・第2の2つの砲台がありますが、第1砲台(30cmカノン2門 起工:大正13年9月、竣工:昭和4年3月)は現在、海上自衛隊下対馬警備所内にあり、立入禁止のため今回の調査から除外しています。

竜ノ崎砲台入り口付近
 第2砲台入口前の、テンション低めのS。

竜ノ崎砲台入り口
 ・・・で、入口がこれ。上対馬町豊(とよ)にある豊砲台(40cmカノン、有効射程30キロ)は、ボタンを押せば照明がつき、内部を見学できる珍しい観光施設(というか本物の砲台跡)ですが、
ここは照明なし。懐中電灯が必須、しかも崩壊が激しく自己責任(-_-;)
 ビクビクしながら入ると・・・。

砲台内部
 崩れてる!なんか散乱してる!(@_@;)

砲台内部
 土砂が入ってきてる!(@_@;)

砲台内部
 瓦礫だらけ!もう駄目かも!(@_@;)

砲台探検隊
 お前は川口浩探検隊か!(30代以上限定)

砲台内部
 ・・・あれ?10mほど進むと、もう砲座? ちょっと拍子抜け(殴)

砲台内部
 豊砲台をそのまま小さくしたような砲台でした。

鍾乳石
 ちょっとびっくりしたのが、砲座の上部から垂れてきていた鍾乳石。

鍾乳石
 コンクリートの洞窟内では成長が早いようで、第2次大戦後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に武装解除されてからわずか数十年の間に、ここまで伸びたんでしょうか。

弾薬庫入り口
 第1砲台は海上自衛隊敷地内で立入りできないため、弾薬庫だけ見学することにしました。入口はこんな感じ。

弾薬庫内部
 地下なのに、めちゃめちゃ広いです。奥にSがいるのがわかりますか?

竜ノ崎砲台
 外部から、砲座の上部に登ってみました。柵がないので、転落に注意。
 明治の砲台のようなレトロ感・デザイン性はなく、昭和の巨砲・豊砲台よりもスケールが小さい、という点で微妙な砲台跡でした。
竜ノ崎第2砲台 30cmカノン2門 起工:昭和8年8月、竣工:昭和11年3月
※ 有効射程25キロ。目的は、壱岐の砲台との挟撃による対馬海峡制海。


豆酘崎からの眺望
 竜ノ崎砲台の調査が順調に進み、気をよくした砲台部員2名は、対馬南西端の豆酘崎へ。
 豆酘崎は海流を両断するように南西に突き出した岬で、遊歩道が整備されており、対馬を代表する景勝地のひとつです。
 そっちをPRすべきじゃないのか、という声は置いといて(-_-)//

豆酘崎灯台を見上げる
 写真中央左上方に見える豆酘崎灯台は、砲台の観測所跡に昭和62年に建てられたもの。砲台が灯台になったわけです。

豆酘崎灯台
 48キロ先を照らす光量があり、海の難所・豆酘崎沖の航海の安全に貢献しています。

砲座
 灯台下を徘徊、もとい、踏査して見つけた砲座です。

弾薬庫
 弾薬庫の鉄の扉も健在でした。

探照灯格納庫
 探照灯(サーチライト)格納庫は、遊歩道の途中にあります。

豆酘砲台 2連装15cmカノン4門 起工:昭和11年11月、竣工:昭和14年1月 
※ 目的は主に旧ソ連の潜水艦制圧。

アワビの殻
 探索中に見つけた大量の(古い)アワビの殻。大人の手のひらほどもある、現在ではなかなか見れないサイズの殻が散乱していました。
 砲台は重要な軍事施設で、戦前・戦中は周辺での漁が禁止されていたため、砲台近辺の海域は魚介類の宝庫だったようです。
 真偽のほどは不明ですが、戦中に砲台付近が爆撃され、その衝撃で大きなアラ(クエ)が浮いてきて、地元の方のご馳走になった、という笑い話もあるそうです。


 さて、この日最後のターゲットは、内山峠の「アカハラダカ観察所」と龍良山(たてらやま)の間にあるという「対馬要塞地帯標」です。
(前回の「上見坂〜有明山縦走トレッキング」の記事にも登場しました)
 楽勝だと思っていましたが、まさかの大苦戦(またかい)。

対馬要塞地帯表
 これが要塞地帯標。1キロくらい先かな?と予想していたところ、三角点を2つ越え、対馬野生生物保護センターが設置したツシマヤマネコの自動撮影カメラに撮影されながら歩き、結局、3.1キロも先にありました(-_-;)

 14:00に出発して、戻ってきたのは16:20。夕暮れが迫っていました。
 ヘッドライトやザイル、GPSなど砲台探検の装備一式はいつも持参しているものの、

「日が暮れて捜索願いとか出されたら、超恥ずかしい・・・」
「夕闇の原生林を徘徊する姿を自動撮影されるなんて嫌だ・・・」
「職員Tから、『車を使いたいので早く帰ってきてください(遊んでないで)』とプレッシャーの電話がかかってきてるのに・・・」

 いろんな不安が頭をよぎりました(-_-;)

内山峠アカハラダカ観察所にて
 ・・・が、あまり懲りているようには見えない砲台部員Sでした。


Googleマップ
>>対馬砲台群・砲台マップ「竜ノ崎砲台・豆酘砲台」

【交通アクセス】
厳原港→(県道24号線を7km南下)→安神四叉路(左:安神集落、中央:内山坂トンネル、右:内山峠)を中央へ→内山坂トンネル入口の分岐点を左(久和方面)へ→安神隧道入口の分岐点を左へ曲がり、道なりに坂道を降りていくと海上自衛隊下対馬警備所に到着。総距離12.5キロ。

Googleマップ
>>厳原港〜厳原町安神(あがみ)

厳原町豆酘(豆酘)まで。
上記安神四叉路の中央・内山坂トンネルを通過→内山集落を経由して、瀬(せ)集落の河口近くの分岐点を左折、豆酘方面へ→豆酘崎(地元豆酘では豆酘崎のことを「尾崎山」と呼びます)。厳原港からの総距離約25キロ。

Googleマップ
>>厳原港〜厳原町豆酘(つつ)・豆酘崎

※対馬空港から厳原港までは国道382号線を南下12キロ。
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