(一社)対馬観光物産協会ブログ

対馬の観光物産情報をお伝えします。
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「対馬楽講座・歴史編」とソワソワの日々について
 こんにちは、ここ数日、ソワソワしている局長Nです。

 「いや〜、なんかソワソワしますね〜。私がソワソワしてるの、わかります?」と事務所スタッフにふっても、

 「いや、わかりません」と塩対応なので、このソワソワをどう伝えればいいのか、煩悶しています。


 で、何をソワソワしているのかというと・・・。

 今年度、対馬市教育委員会文化財課の皆さん、「対馬観光ガイドの会やんこも」の皆さんに相談しながら、

 対馬楽講座(対馬を楽しむための講座)の歴史編を企画しているのですが、

 計8回のうち1回は島外から講師をお招きしたい、

 時代・テーマは「戦国の山城」(対馬では清水山城)がいいなあ、と思い、

図説・戦う城の科学

「図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて」

 の著者で、公益財団法人日本城郭協会の理事でもある

 萩原さちこさん に講座の依頼メールをお送りしたところ・・・

 何と快諾!

 この人を対馬にお招きしたいんですよー、とあちこちで言っていたのですが、お城関連の講演・メディア出演・執筆などで忙しい方なので、

 まさか実現するとは(@_@;)

 >>城メグリスト(萩原さちこさんの公式サイト)


清水山城(本丸)

 ちなみに萩原さんは、2014年に対馬(の清水山城・金田城・結石山城など)を訪問されていますが、お気にいりは清水山城とのこと。

 >>城メグ日記 対馬2日間の城旅!(城メグリスト・ブログ14/07/21)

清水山城(三の丸)

 清水山城は、文禄慶長の役に際して豊臣秀吉の命で築かれ、戦国末期の良好な山城遺構として国の史跡に指定されています。

 厳原港から徒歩でアクセス可能で、一番低い三の丸からでも城下町厳原を一望でき、気象条件がよければお隣の壱岐まで見渡せるなど、歴史と景観を満喫できます。

清水山城・縄張図
↑「長崎県中近世城館跡分布調査報告書2」(長崎県教育委員会)

 こんな縄張図を持って、清水山城をウロウロする人が増えるといいなあ、と思っています(個人的に)。



 対馬楽講座に関しては詳細が決まり次第ブログなどで紹介していきますが、とりあえず現在の予定は、

2017年
12/ 5 開講式&神社
12/12 対馬の古墳
12/19 古代山城・金田城
12/26 元寇・倭寇

2018年
1/9 日朝交流史・朝鮮通信使
1/16 戦国の山城・清水山城 ※萩原さちこさん予定
1/23 対馬藩の外交交流拠点・倭館
1/30 国防の最前線・明治の対馬

 2017年12月〜2018年1月の毎週火曜日の計8回、夜19:00〜20:30で、会場は対馬市交流センターです。
 ※講師の方の都合などで変更になる可能性があります。

 今年は、古代山城・金田城築造1350年、朝鮮通信使関連資料のユネスコ「世界の記憶」登録への期待、対馬の元寇を描く歴史マンガ「アンゴルモア〜元寇合戦記〜」のアニメ化が発表されるなど、対馬の歴史が注目されています。



 「山城の時代が、やってくるな」(私)

 「いや、天守閣のある城のほうがいいっす」(スタッフ)

 (こんちくしょー!!)
記事カテゴリ: 対馬の歴史
対馬の太陽神オヒデリ様と足の裏イタタの日
 こんにちは、局長Nです。

 昨日12/7(水)、対馬市厳原町阿連(いづはらまちあれ)に伝わる神事「オヒデリ様の元山送り」に参加しました。

 民俗学的にも貴重ということで、地元CATVや新聞各社の取材、九州大学の学生さんなども参加していました。


「お日照様」神事のまとめ

・阿連には式内社(平安時代に公に祭られた格の高い神社)の「雷命神社」があり、祭神は「雷命」(いかづちのみこと)。
・雷命は、日本のほかの神々同様、旧暦の10月に出雲大社に旅立つため、阿連は一ヶ月間神様不在になる。(日本中から神々がいなくなるので「神無月」)
・雷命のいない間、ふだんは山にいる「お日照様」に里に降りてもらい、村を守ってもらう。
・雷命が阿連に帰ると、お日照様は旧11/1〜11/8の間、一緒に暮らす。
・旧11/9に、お日照様を元の山にお返しする「お日照様の元山(本山)送り」の神事が行われる。この時、お日照は懐妊していると考えられている。
・雷命は竜神・水神・男神で、お日照様は太陽神・女神。この一連の神事は、雨と太陽がバランスよく結びつき、里に豊穣がもたらされる、という古い民俗世界を体現している。

過去のブログはこちら↓

 >>「お日照(おひでり)様」神事について(当協会ブログ2012.12.26)


雷命神社

 雷命神社社殿前のイチョウの大木が折れています。

 (その数年前には、カヤの大木も折れました)

 祭神「雷命」は、亀卜(きぼく。古代の占い)の神様なのですが、竜神・水神・雷神ともされており、竜巻や落雷で巨木も折られてしまうとか。

 というよりも、竜神の棲む場所だからこそ祭り、社殿を造ったのかもしれませんね。

遡上1

 雷命神社でお祓いを受けた後、背中に御幣を刺してもらい、地元の方々と一緒に川を遡ります。

 我々がお神輿(みこし)となって、オヒデリ様を山にお運びするのです。

 子どもたちには特別な役割があり、先に猛ダッシュ。

遡上2

 初参加の協会女性陣は興味津々。

 「このあと、裸足で川を遡っていくけど、大丈夫?」

 「あー、全然大丈夫ですよ!」(会計担当K)(←このあと絶叫することになりますけどね)

遡上3

「いざや、いざや、とのばらを、もとのお山にお送り申ーす!」

「おー!」

遡上4

 どんどん遡っていきます。


子どもたち

 ここで、先回りしていた子どもたちが動物(シカ)に扮して、大声で大人を脅かします。

 大人たちは、びっくりするのがお約束。

 「わーっ!!」(子どもたち)

 「うおっ!!」(←事前に説明していたのに、不意をつかれて本当にびっくりした観光チームM(-_-;))

足の裏イタタ

 ここから先はオヒデリ様の神聖な領域。

 靴を脱いで歩きます。

 「いたたっ!!マジっすか、これ!ギャー!!」(会計担当K)

オヒデリ様の祠

 川の途中にある、オヒデリ様の祠に到着。

祈り

 御幣を納め、ロウソクに火を灯し、子どもたちからお年寄りまで一緒に祈りを捧げます。

 太陽(オヒデリ様)と雨(雷命)が調和し、里に平安と豊穣がもたらされるのです。

 ちなみに雷命は、日本中の神様が出雲大社に集まる縁結び会議の帰りなので、神事に参加すればよいご縁に恵まれるかもしれません。

 (家庭も職場も人生も、すべては人の縁の上に築かれていくので)

取材対応

 なぜか地元CATVの取材をうけている協会スタッフ・のんちゃそ。 (裸足で)

 ※本人の希望により写真を加工しています。

足の裏イタタ

 帰りも当然、裸足です。


 「イタィィィィ!!」 (会計K)

 「あら?裸足? 靴下はいててよかったのに」(地元の方)

 (早く、言えェェェェェ!!) (Kの心の声)

 
 写真で確認すると、地元の方は靴下をはいています。

 あー、靴下オーケーだったんですねー、知らなかったなー(棒読み)


御日照神社

 ちなみに漢字で書くと、「御日照」様。

 優しい日光の恵みの和の側面と、時には旱魃(かんばつ)をもたらす荒ぶる魂を感じさせます。

ブリとそば粉

 ブリとそば粉をいただきました。

せん作り

 集落では、対馬の郷土料理「ろくべえ」の材料となる「せん」が作られていました。

 サツマイモを砕いて発酵させ、でんぷんを取り出すのですが、とても手間がかかります。

干し大根

 冬に備え、大根が干されています。

サツマイモの切り干し

 同じくサツマイモの切り干し。

 食物繊維も豊富で、囲炉裏やストーブであぶると、やさしい甘みがあって滋味たっぷり。

阿連の風景

 オヒデリ様を紹介するにあたり、「秘祭」「奇祭」という冠も考えたのですが、むしろこちらが本来の祭りの姿のような気がします。

 阿連(あれ)という集落は、「対馬の半農半漁の暮らしの原風景」であり、神事もごく当たり前のように生活に溶けこんでいるんだなあ、とあらためて感じました。



 夜になっても、足の裏がホカホカしています。

 足の裏は第2の心臓とも言われ、たまには裸足で歩くのもよいのかも。

 来年参加したい思った方は、ぜひ裸足で!!(殴)
記事カテゴリ: 対馬の歴史
対馬の宗 義智(そうよしとし)推しがすごい件
 こんにちは、職場である「観光情報館ふれあい処つしま」に住んでいるとウワサされている局長Nです。
 (そのうち半分くらいは白目をむいて夢の国に住んでいるのでは?と言われてますけどね)ヤマネコン


 さて、突然ですが、みなさまの一番好きな戦国武将は誰でしょう?


 信長? 秀吉?

 家康? 信玄?

 謙信? 清正?

 如水? 政宗?

 真田一族?



 いやいや、群雄割拠の時代、英雄たちがキラ星のごとくひしめいていますが、対馬島民のイチオシはこの人しかいません!!




宗義智(墨絵)

どーん!!


(誰や!!)


 対馬島民が愛してやまない、

初代対馬藩主・宗 義智(そう よしとし)公 です!

 
 どれくらい偏執的に好きかというと

宗義智(劇団)

 対馬市民劇団・漁火(いさりび)の「対馬物語」(脚本はジェームス三木さん)の主人公は、

宗 義智 と妻マリアです。

 (当然ですね)

宗義智(万松院まつり)

 万松院(ばんしょういん)は、宗 義智(宗家)の菩提寺 で国指定史跡。

 毎年秋には、万松院まつりが開催されています。

 (常識です)





宗義智(銅像)

 2016年3月12日(土)、銅像建てました。

 >>宗義智公銅像(対馬市厳原町中村)(Googleマップ)




宗義智(マンガ表紙)

 2016年3月、マンガニモナッタヨ!


宗義智(マンガ1)

 興奮シスギテ、カタコトダヨ!


宗義智(マンガ2)

 文禄慶長ノ役デモ タタカッタヨ!


宗義智(マンガ3)

 秀吉ダマシテ、オコラレタヨ!(朝鮮国王モ ダマシタヨ!)


宗義智(マンガ4)

 家康ニ タノマレタヨ!(デモ、家康モ ダマシタヨ!)


宗義智(マンガ5)

 関ヶ原、西軍ニツイタラ、負ケタヨ。(ヨミ、甘カッタヨ)

 当然、家康二モ オコラレタヨ!


宗義智(マンガ6)

 平和ナ時代ガヤッテキタケド、トンデモナイ秘密ヲ 抱エタママ 亡クナッタヨ!

 2代藩主、宗 義成(ソウ ヨシナリ)、生キタ心地ガシナカッタヨーー!!



(カタコト解説にはかなり偏見が含まれております)



 さて、このスーパースター「宗 義智」を描いたマンガがついに世に出ます!!

 コンパクト!(13cm×19cm) 絵が綺麗! 戦国の世がよくわかる!

マンガ対馬の歴史偉人物語1
初代対馬藩主 宗 義智
対馬藩外交の礎を築いた英主

 4月から、観光情報館ふれあい処つしまで、756円(税込)で販売します〜。

 予約受け付けます!


【企画・制作】 (株)梓書院 092-643-7075
【編集】 長崎県対馬市
【マンガ】 屋代 尚宣(やしろ ひさのり)
【監修】 対馬の歴史マンガ化事業実行委員会
【発行】 平成28年3月22日
記事カテゴリ: 対馬の歴史
「アンゴルモア 〜元寇合戦記〜」について (ネタバレ注意!)


こんにちは。


「いま一番面白いマンガは何ですか?」と聞かれたらこう即答します!



「アンゴルモアっ!」




はい。よりぼぅです。



今日は「アンゴルモア 〜元寇合戦記〜」というマンガのご紹介。
著者:たかぎ七彦
発行:株式会社KADOKAWA




よりぼぅが読んでみた感想は…

「鎌倉時代に日本中を揺るがせた“元寇(マンガでは1回目の文永の役(1274年))において、対馬の人がどのように戦い、逃げまどい、生き延び・・・という今までにありそうでなかった、そして対馬の色々な歴史や史跡、そして伝承をうまく結びつけてくれているマンガ」

って感じです。




協会内でも局長N、よりぼぅが個人的に購読しています。



現在、コミックが5巻まで発売されています。




厳原町の小茂田浜神社に軍神として祀られている初代島主・宗助国公も登場します(史実どおり早い段階で討ち死にしますが)




主人公は、鎌倉から流罪で対馬に送られた「朽井迅三郎(くちいじんざぶろう)」で、他の流人や対馬の人々とともに戦います。




厳原町の久根田舎には、源平の合戦で壇ノ浦に沈んだといわれている安徳天皇のお墓(安徳天皇御陵墓参考地)が残っています。
(局長Nブログ)対馬市民総ガイド化計画 「対馬宗家と安徳天皇陵」復活開催!

伝説上の初代島主・宗重尚(そう しげひさ)は、“壇ノ浦の合戦を生き延び対馬に辿り着いた安徳天皇の子”といわれています。


ちなみに、壇ノ浦の合戦が1185年。このとき安徳天皇は6歳。

文永の役は1274年・・・ってことは、このとき安徳天皇は95歳!!ちょ〜長生き!



その安徳天皇も描かれています。う〜ん神々しいき




何と何と!蒙古軍の追っ手から逃げる人々は古代山城・金田城に立て籠もります。




1274年の文永の役の出来事に、674年に造られた金田城を描くなんて斬新!




もちろん物語は継続中で、これからも色々な対馬の史跡や伝承などが出てくるのかと思うと、楽しみで楽しみで…よりぼぅは夜しか眠れません。たまに昼寝もします



もし興味のある方がおられましたらお近くの本屋へ。

ちなみに、対馬の本屋さん情報では「何巻かは置いてるけど、在庫僅少の巻もある」そうです。お急ぎ下さい。



いつか作者の“たかぎ七彦”さんを対馬にお招きして、色々と対馬のことを話したり、美味しい特産品を紹介できれば、と思います。






記事カテゴリ: 対馬の歴史
伊達 政宗と対馬藩主・宗家(そうけ)の物語
 こんにちは、局長Nです。

 お彼岸に事務所当番、You Tubeでgoose houseの音楽を聞きながら事務仕事のポンポコピーで帰れません。

(全然伝わらないと思いますが、もう説明はしません(-_-;))


 2015/4/15(水)の「歴史秘話ヒストリア」(22:00〜22:43)で対馬の「国書偽造事件」が取り上げられます。

 初代対馬藩主・宗 義智(そう よしとし)の子である義成(よしなり)の時代、幕府を震撼させた一大外交スキャンダル「柳川一件」がテーマです。

万松院
写真: 宗家の菩提寺・万松院の百雁木(ひゃくがんぎ)


 江戸城の大広間において、三代将軍・徳川家光が直々に、宗 義成とその家臣である柳川 調興(やながわ しげおき)を裁いたという、江戸時代最大とも言える裁判事件。

 大広間には、戦国の生き残り伊達 政宗(だて まさむね)、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家、松平 信綱(知恵伊豆)、柳生 宗矩(やぎゅうむねのり。将軍の剣術・兵法指南役)、加賀の前田氏、薩摩の島津氏など、幕閣から外様の大大名、旗本までが列席していました。

三具足
写真: 朝鮮王朝から贈られた仏具・三具足(みつぐそく)。日光東照宮にも贈られています。

 下馬評では、主君を訴えた柳川が有利だったのですが、伊達 政宗は義成支持を公言してはばかりませんでした。


「将軍家の御沙汰で、もし柳川が勝ったならば、調興を屋敷に帰さず、かならず切り捨てるよう私の家臣に申し付けております。

 朝鮮の役のとき、我われはあなたのお父上の義智公に命を預けました。

 朝鮮での私の働きに対して、太閤殿下は感状を賜われましたが、それも対馬守殿が少人数で危機を救ってくれたおかげです。

 その恩に今こそむくいたいと存じております」 (『柳川実紀』)

※ 「書き替えられた国書 徳川・朝鮮外交の舞台裏」(田代和生・中公新書)


 たとえ将軍の裁可であっても認めない、受けた恩義は忘れない、という戦国時代の生き残り、伊達 政宗の言葉がかっこいいです(>_<)

万松院まつり1
写真: 万松院まつり(秋)。


 その政宗に「命を預けた」と言わしめた対馬藩主・宗 義智とはいかなる人物なのか?!


 洗礼名「ダリオ」をもつキリシタン大名で、妻は小西行長の娘マリア。

 朝鮮出兵の先鋒を命じられ、また水面下では命がけの和平交渉を果たす。

 そして、国書偽造という禁断の外交手段に手を染める・・・。

 今年は、義智が亡くなり菩提寺・万松院(ばんしょういん)が創建されて400年の節目の年。 

義智公の墓
写真: 義智公の墓所。


 詳しくは、歴史秘話ヒストリア、見てね♪ (説明、雑っ)

記事カテゴリ: 対馬の歴史
歴史秘話ヒストリア「対馬・国書偽造事件(仮)」について
 こんにちは、局長Nです<(_ _)>

 速報でございます!

ヒストリア撮影風景

 今年1/19(月)〜1/20(火)に下見協力、2/15(日)〜2/16(月)に撮影協力を行った、

 「歴史秘話ヒストリア」(NHK総合)の放送日が、NHKのWEBサイトで公開されていました!


第214回放送予定
「対馬・国書偽造事件(仮)」
平成27年4月15日(水)22:00〜22:43 NHK総合
 >>http://www.nhk.or.jp/historia/


【時代背景など】

 16世紀末、天下統一を果たした豊臣 秀吉は、大陸侵出の野望に取り憑かれ、諸大名に朝鮮出兵(文禄慶長の役)の命令を下します。

 宇喜多秀家、小西行長、加藤清正、黒田長政(官兵衛の息子ですね)、島津義弘、福島正則、立花宗茂・・・。

 戦国末期、その軍事力を最高潮にまで研ぎ澄ました大軍団が、対馬経由で海峡を渡ります。

清水山城
 対馬市厳原町の中心部に築かれた、朝鮮出兵の出城、清水山城(国史跡)。
 >>清水山城跡(Googleマップ)


 朝鮮との関係回復を願う対馬第19代島主・宗 義智(そう よしとし)は、皮肉なことに、義父の小西行長とともに第一陣、先鋒を命じられます。

 やがて、明(中国)の参戦、朝鮮水軍とゲリラの抵抗等により、戦局は泥沼化。

 秀吉の病死により戦争は終結。


 関が原の戦いを経て、次の天下人となった徳川家康は、対馬の若き島主・宗 義智に国交回復交渉を命じます。

 その過程で行われたある外交工作が、義智の死後、日本と朝鮮を震撼させる一大外交スキャンダルへと発展していくのです・・・。

万松院
 初代対馬藩主・宗 義智が眠る宗家の菩提寺・万松院(ばんしょういん。国史跡)。
 >>万松院(Googleマップ)

 >>秀吉の朝鮮出兵命令!激動の対馬を旅する(観光モデルコース・悠久の歴史にふれる)


 番組タイトルをみれば、宗家が何をやったのかバレバレですが(笑)

 案内人のNHKアナウンサー・渡邊あゆみさんも来島されてロケを行いました。

 いやー、放送が楽しみです!
記事カテゴリ: 対馬の歴史
「サライ」(小学館)3月号について
 こんにちは、オールナイト局長Nです(_ _)zZZ

 「サライ」(小学館)3月号が、2015年2月10日に発売されました!

サライ

 >>サライ 2015年3月号(小学館ホームページ)


 テーマは古代史で、対馬は古代山城・金田城(かなたのき)、壱岐は原の辻(はるのつじ)遺跡という、長崎県に2つしかない「国指定特別史跡」が4ページずつ紹介されています。

 ちなみに国指定特別史跡とは、「史跡のうち学術上の価値が特に高く、わが国文化の象徴たるもの」と規定されており、いわば史跡の国宝。

 そんなものが、この島にはあるのです。

 11月に取材協力を行ったもので、満を持して発売であります!

 書店・コンビニ等で手にとってみてくださいね。


観光モデルコース
 >>防人が築いた古代要塞 金田城トレッキング

観光モデルコース
 >>古代山城 金田城と防人〜対馬・万葉の旅その1〜


もうひとつ、本の紹介です。

勝海舟と幕末外交

 >>「勝海舟と幕末外交 イギリス・ロシアの脅威に抗して」上垣外憲一 著(中公新書)(中央公論新社ホームページ)


 19世紀、帝国主義の時代には、イギリス、ロシアなどの列強が熾烈な植民地獲得競争を繰り広げておりました。

 以下、中央公論新社ホームページより引用。

 「幕末、日本近海ではイギリスとロシアが激突していた。クリミア戦争ではカムチャツカ半島も戦場になり、アロー戦争では清国と英仏の講和に介入したロシアが広大な領土を清国から得た。「日本の味方はどの国か」を巡って幕府内では親英・親米・親露の各派が対立。そして、ついにロシアは日本に触手を伸ばし、対馬を占領、軍事基地を築きはじめる。植民地化の危機が迫るなか、独自の知見と人脈を持つ勝海舟が動く。」


 他国に奪われるくらいなら自分たちが占領するのが常識であった時代、植民地化される危機にさらされた対馬で何が起こり、勝海舟たちはどう動いたのか・・・というお話。

 対馬が原因で英露の戦争が勃発しかねない状況が現実にあり、日本が植民地化されなかったのがむしろ奇跡だったことがよくわかります(-_-;)


観光モデルコース
 >>『坂の上の雲』の時代〜日露戦争と対馬要塞〜


 もういっちょ〜。

 以前お知らせしましたが、対馬市民総ガイド化計画の第4回講座「対馬宗家と安徳天皇陵」を、今週日曜日2/22の10:30〜12:00、対馬市交流センターで開催いたします。

 お申し込みは金曜日まで!

 詳しくは下記をご覧ください。

 >>対馬市民総ガイド化計画 「対馬宗家と安徳天皇陵」復活開催!(1/29ブログ)
記事カテゴリ: 対馬の歴史
「ぶらり厳原・城下町ウォーク」について
 こんにちは、ブログのなかで時間を旅する男(主に過去)、局長Nです。

 そのうち過去の記事が現在に追いつき、やがて未来のこと、さらに死後の世界、転生後の記事を書き始めるかもしれません。

(その時はもう、アレですね)

 どうでもいい話はおいといて(-_-)//

 あ、協会ホームページのメニューなどもすっきり表示にしました。

 スマホにも対応していると思いますので、遊んでみてください。

 余談はおいといて(-_-;)//


 さて、昨年11月16日(日)、「対馬市民総ガイド化計画」の最後の現地ツアー「ぶらり厳原・城下町ウォーク」を開催しました。

 対馬市厳原町(いづはらまち)は、律令時代に国府が置かれた対馬の中心地で、また江戸時代には対馬藩主のおひざもと、宗家(そうけ)10万石の城下町として栄えました。

 特に、厳原中学校から久田道(くたみち)の城下町エリアには、江戸時代の石垣などが多く残され、当時の雰囲気をいまに伝えています。

 このエリアは厳原港からの徒歩観光が可能なので、旅行や出張のちょっとした空き時間に利用できる歴史散策コースを開発し、地元の皆さんにもガイドになっていただこう、という企画でございます。

対馬市役所前
 この日のガイドは、「対馬観光ガイドの会やんこも」の小島 武博さん。
 実は小島さんは、城下町の歴史散策の本を執筆中で、絶好のタイミングでした。

八幡宮神社
 厳原八幡宮にて。
 初代対馬藩主・宗 義智(よう よしとし)公と、妻であった小西マリア(小西行長の娘)の愛と悲劇の物語をお聞きしました。

半井桃水館
 中村地区の「半井桃水館」(なからいとうすいかん)にて。
 桃水は明治期の対馬出身の新聞記者・小説家ですが、現在では、樋口一葉の師匠・想われ人としての方が有名です。

日奥上人1
 宮谷地区の奥、ほとんど知られていませんが、日蓮宗不受不施派の開祖・日奥(にちおう)上人が住んでいたところ。
 上人は、戦国末期から江戸初期にかけて、宗教界を従わせようとした豊臣秀吉・徳川家康に反発し、また宗教界の内紛もあり、2回も対馬に流されています。

日奥上人2
 2回目は死後で、遺骨を掘り起こされて対馬に流されたというのですから激しいお話ですね(-_-;)

鏡積み
 対馬ではよく見かける、鏡積み(かがみづみ)という技法の石積みです。
 もっとも広い面を表に出すという、崩れやすい不安定な積み方なのですが、地震がほとんどない対馬だからこそ多用され、現在も残っているのかもしれません。

日新館門
 桟原地区の日新館(にっしんかん)の門です。
 もとは宗家の中屋敷の門で、幕末には藩校・日新館の門となり、昭和時代に一時解体されましたが、平成5年に移転復元したもの。

 当時厳原町の教育委員会に在籍していた小島さんも、移転復元地を探す担当者としていろいろ苦労されたそうです。

桟原上の石垣
 歴史散策もいよいよゴール地点の桟原城跡へ。

 宗家は、現在の市役所近くの「金石城」(かねいしじょう)と、現在の厳原中学校近くの「桟原城」(さじきばらじょう)の2つの城を保有していました。

 桟原城跡は現在、陸上自衛隊の駐屯地となっています。

 今回のコースは、歴史はもちろん、コンビニや公園、対馬の伝統的な和菓子「かすまき」を販売する菓子屋が立ち並び、疲れたら路線バスも利用できるなど、よいコースなのですが、後半にほとんどトイレがないのが難点でした。


 さて、このコースを歩くのにもってこいの手引書のご紹介です。(右側は気にしないでください)

書籍2冊
 「対馬府中藩 ぶらり城下町散歩」(小島武博著、交隣舎)

 今回のガイドの小島さんが、素晴らしいタイミングで出版した歴史散策の手引き、ガイドブックです(^^)

 厳原町中心部、特にその路地には粋な小字名も多く、本とカメラを手に、歴史の香りを楽しみながら、町を歩いてみませんか?

 同書籍は島内の書店のほか、アマゾンでも購入できます。

 >>対馬府中藩 ぶらり城下町散歩(小島武博 (著)、永留史彦 (編集) 税込1080円)


 >>ぶらり厳原・城下町ウォーキング(Googleマップ)
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対馬市民総ガイド化計画 「対馬宗家と安徳天皇陵」復活開催!
 こんにちは、今年の個人的な目標「時間の使い方が上手くなる」を掲げたものの、相変わらず1日の3分の2を事務所で過ごしている局長Nです。

 なかなか実践は難しいものですね(_ _)zZZ


 さて、昨年、「国境の島 対馬市民総ガイド化計画」を実施しましたが、京都から講師の先生をお招きする予定だった第4回「対馬宗家と安徳天皇陵」が台風のため休止となってしまいました。

 が!

 京都府立大学の東先生のご好意もあり、受講生の皆様からのリクエストにお応えし、

 復活開催決定です!!

 (講座はどなたでも参加できますが、お申し込みが必要です)

久根田舎看板

 講座内容は、対馬島主・宗家と、安徳天皇の関係について。

 安徳天皇は、平安時代の源平の合戦の最終局面「壇ノ浦の合戦」で、赤間関(下関)に沈んだ幼帝です。

(数え年8歳、歴代天皇最年少で崩御)


 その最期が悲劇的であったため、平家物語などの文学の主要なテーマとなり、また様々な伝説が生まれました。

 いわく、安徳天皇は実は生き延びていて、○○で余生を送った・・・などなど。


 対馬にもその伝承地があるのです!

 Wikipediaにもしっかり載っていました(^^;)
 >>安徳天皇

以下引用。

【伝説】
安徳天皇は壇ノ浦で入水せず平氏の残党に警護されて地方に落ち延びたとする伝説があり、九州四国地方を中心に全国に20ヶ所あまりの伝承地がある。

対馬に逃げ延びて宗氏の祖となったとする説。
対馬に渡った安徳天皇が島津氏の娘との間に儲けた子が宗重尚であるという。


【宮内庁指定の陵墓参考地】
長崎県対馬の厳原町久根田舎には、安徳天皇の墓と言われる陵墓があり宮内庁指定の御陵墓参考地となっている。


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対馬は自然と歴史の宝庫でござる!
国境の島 対馬市民総ガイド化計画

 家族に、ともだちに、観光客に、対馬の魅力を伝えるため、みんなで対馬について学び、楽しもう!というコンセプトで始まった総ガイド化計画。
 昨年11月5日に最終回(第7回)を迎えましたが、台風で中止になり復活開催のリクエストが多かった「あの」第4回講座を実施します!

「対馬宗家と安徳天皇陵」

東 昇 先生(京都府立大学)

開催日時 平成27年2月22日(日)10:30〜12:00
開催場所 対馬市交流センター3F 第5・6会議室(対馬市厳原町今屋敷661-3)
受講料  無料    定員 40名

 鎌倉時代から幕末まで約600年にわたって対馬を統治し、現在もその血脈が受け継がれている名族・宗(そう)氏。
 初代・宗 助国(すけくに)は、元・高麗の大軍との激戦の果てに散り、歴代の宗家は、時には朝鮮水軍と戦い、時には大宰府を攻め落とし、秀吉や朝鮮国王とわたり合い、外交使節団・朝鮮通信使の往来を支え、徳川幕府を震撼させる外交スキャンダルを起こし、明治時代には伯爵家となるなど、その歴史は国境の島・対馬の数奇な運命そのものと言えます。
 宗氏はどこからやってきたのか? 源平の合戦で壇ノ浦に沈んだはずの安徳天皇との関係は? 「対馬宗家と安徳天皇陵」の著者、東 昇先生といっしょに、宗家の謎に迫ってみませんか?

【お申し込み】
 電話・FAX・メールで、下記申込先までご連絡ください。どなたでも参加できますが、連絡や資料の準備のため、必ずお申込みをお願いいたします。

【必要事項】
住所、氏名、年齢、性別、電話番号、携帯番号


〒817-0022 長崎県対馬市厳原町国分1441番地 対馬市役所1F
(一社)対馬観光物産協会 担当 西・舟橋
TEL 0920-52-1566、FAX 0920-52-1585
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長崎県 平成26年度 世界遺産受入体制整備事業(歴史・文化ガイド推進事業)

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対馬宗家と安徳天皇陵
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講演会「『交隣提醒』に託した雨森芳洲の思い」(5/10)につきまして
 こんにちは、昼から城山(じょうやま)の案内をする予定の局長Nです。

 昨日まで晴れだった予報が、なんだか怪しい空模様になってきました。

 職場で「雨の神だ・・・」と恐れられていますが、降りませんよっ!(-_-;)



 さて、今週末、5月10日(土)に開催される講演会のお知らせです。

 江戸時代に対朝鮮外交で活躍した対馬藩の儒学者「雨森芳洲」(あめのもり ほうしゅう)について、宗家文書研究の第一人者、田代 和生(たしろ かずい)先生の話をお聞きできる絶好の機会です。

 対馬歴史民俗資料館の学芸員・山口 華代さんのお話も聞けます。

(昨年度の対馬学講座の時も、わかりやすい説明で好評でした)



田代和生先生講演会 『交隣提醒』に託した雨森芳洲の思い

日時  平成26年5月10日(土)
会場  対馬市交流センター 3階 大会議室
講師  慶應義塾大学名誉教授 田代和生 先生
対象  特に制限はありません。先着200名様までです。
参加費  無料
申込  事前申込は不要です。当日会場までお越しください。
関連企画  平成26年4月26日(土)から6月1日まで、本館展示室において、雨森芳洲関連資料の展示を行います。


プログラム

13時00分から 開場
13時30分から13時35分 開会の辞・講師紹介
13時35分から13時55分 
「対馬における雨森芳洲の事跡」
山口 華代(対馬歴史民俗資料館主任学芸員)

14時00分から15時00分 講演
「『交隣提醒』に託した雨森芳洲の思い」
田代和生(慶應義塾大学名誉教授)
15時00分から15時10分 質疑応答
15時10分から15時15分 謝辞・閉会の辞


講演者プロフィール

田代 和生(たしろ かずい)
 
 慶應義塾大学名誉教授。専門は近世日朝交易史・近世日朝関係史。
 1968年対馬宗家の古文書調査のため来島して以来、対馬宗家文書をもとに研究を進め、
 とくに対馬藩による朝鮮貿易の実態解明に寄与。
 2011年6月に紫綬褒章を受章。
 《著作・出演番組》
 『書き替えられた国書』(中央公論社)
 『新・倭館 鎖国時代の日本人町』(ゆまに書房)
 NHK『その時歴史が動いた』「対馬藩・決死の国書すり替え 朝鮮通信使秘話」など

 >>長崎県ホームページ


城山
 写真がないとさびしいので・・・、4/18にご案内した厳原(いづはら)中学校の城山トレッキングの様子です。

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