(一社)対馬観光物産協会ブログ

対馬の観光物産情報をお伝えします。
<< September 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
対馬観光ガイドの会やんこも研修in韓国熊川・慶州
 こんにちは、局長Nです。

 今週火曜日2/23に実施した対馬楽講座(第1回)の報告をしようと思いましたが、2/12(金)〜2/14(日)の「対馬観光ガイドの会やんこも」の研修のレポを忘れておりました(-_-;)

 さて、「対馬観光ガイドの会やんこも」では、毎年対馬と関連の深い場所へ研修旅行を行っており、今年で7年目を迎えます。

 今年度のテーマは、初代対馬藩主宗 義智(そう よしとし)公の義父でもある、小西行長が文禄慶長の役(朝鮮出兵)の折りに築いた倭城(わじょう。日本式の城郭)です。

 旅費もほぼ手出しなのに、皆さん熱心です(^^;)


 車2台で、対馬北部比田勝(ひたかつ)へ。
 比田勝港から、JR九州高速船のBEETLEに乗って70分、そこはもう釜山です。
 通常運賃は片道7,500円ですが、島民割引で比田勝から往復10,500円。

  >>JR九州高速船 BEETLE(対馬〜釜山)

 プサンからタクシーに乗って1時間ほどで熊川(ウンチョン)へ。


熊川倭城1

 人のいない山城跡を、看板に従って登っていくと・・・。

熊川倭城2

 400年前、キリシタン大名小西行長が築いた山城跡が出現!

 行長はここにセスペデス神父を招いてミサを開き、それが朝鮮半島への最初のキリスト教伝来となったそうです。

 異国の地で殺し合いをしながら、その一方でミサを開く・・・どんな心境だったんでしょうね。

熊川倭城3

 石垣の角の処理が少し不思議です。縦に長く積むと、不安定に見えますが・・・。

熊川倭城4

 城は高台にあり、補給は船(海)から行うため、海と城をつなぐ「登り石垣」が特徴。

 古くはこのあたりは鉄の産地でもあり、倭人(日本人)も鉄を求め、海を越えてやってきていたそうです。

熊川倭城5

 関が原の合戦で徳川家康に敗れ、キリシタンであったため切腹(自殺)を拒み、処刑された行長。

 熊本に築いた宇土城(うとじょう)は、島原の乱後に徹底的に破壊されました。

 彼が築いた山城が400年後も異国に残っていることに、時間の流れの不思議を感じました。


慶州博物館

 翌日は、新羅の1000年の王都、慶州(キョンジュ)の国立慶州博物館へ。

ハニワ?

 韓国にもハニワがあるのか?! と思ったら、奈良国立博物館の「日本の古墳文化」特別展でした。

「奈良まで見に行くの大変やけん、ここで見ていこうや!」

 たしかに(^^;)

仏国寺

 続いて世界遺産・仏国寺へ。ここも文禄慶長の役の戦場のひとつで、石垣には火災の跡がありました。

石積み

 韓国人観光客が増え、対馬の神社や山でも見かけるようになった石積み。祈願のために小石を積む風習があるそうです。

石窟庵

 同じく世界遺産の石窟庵の石仏は撮影禁止でしたが、圧倒的な存在感でした。

釜山鎮支城

 最終日は海が荒れ、船が1時間遅れになったので、ちょっと寄り道。

子城台

 子城台(チャソンデ)の釜山鎮支城(文禄慶長の役の最初の戦闘地のひとつ)と、朝鮮通信使が航海の安全を祈願する海神祭を行った永嘉台(ヨンガデ)を見学。

朝鮮通信使歴史館

 朝鮮通信使歴史館を見学しました。

JRビートル

 無事、帰島。
 70分で韓国から比田勝港に戻り、厳原(いづはら)に着くまで車で90分(笑)


清水山城

 職場の「観光情報館ふれあい処つしま」から見える戦国末期の山城「清水山城」(しみずやまじょう。国史跡)は、秀吉配下の戦国大名たちが朝鮮半島に築いた倭城と同時代の城跡です。

 文禄慶長の役と、その当時の対馬の状況をリアルに感じることができ、充実した研修となりました。


ちなみに過去の研修地は以下の通り。  

平成26(2014)年度
 広島呉市(ヤマトミュージアム)、福山市(鞆の浦・対潮楼)

平成25(2013)年度
 >>韓国 蔚山(西生浦倭城、蔚山倭城)(当協会ブログ2014.3.4)

2012年度
 福岡県太宰府市(九州国立博物館・大野城)

2011年度
 >>熊本県宇土市/熊本市(当協会ブログ2011.10.1)

2010年度
 >>山口県萩市(当協会ブログ2011.4.5)

2009年度
 >>佐賀県唐津市/長崎県長崎市(当協会ブログ2010.2.23)
記事カテゴリ: ガイドの会やんこも
「対馬観光ガイドの会 やんこも」について
ずいぶん前に、N局長より「市からの派遣職員は、自己紹介を。。」とのお達しから、早数週間。


遅くなりましたが、みなさまはじめまして。観光誘客と窓口担当の「N」です。。。といったらまた炎上しそうなので「M」です。


半年前まで、解体する前の観光物産推進本部に在籍しておりまして(観光とは関係ない業務でしたが)異動になり、めっちゃ市役所っぽい仕事をしておりました。


そんなある日、突然個室に呼ばれ「観光物産協会行ってみようかー」と言われ、さてはドッキリカメラでもあるんじゃなかろうかとキョロキョロしましたが、そんなものはどこにもなく、流れ流れて今窓口に座っているという訳です。


さて、そんなわたしの事は追々...。


さて、今日も多くの観光客のお客様が来島下さっております。ありがたい限りです。


パンフレットを片手に自由気ままに回るのも良いと思いますが、やはり現地のガイドさんの説明があるとより深いところまで対馬をわかっていただけると思います。


実は、そんな対馬の事を知り尽くしたガイドさんが在籍している集団があるんですねェ。


その名も「対馬観光ガイドの会 やんこも」です。
(※ちなもに「やんこも」とは「たくさん」とか「何度も」という対馬弁です。何度も対馬に来てほしい、たくさんガイドしますよという思いのもと作られた会です。)


今日は、そんなやんこものガイドにいそいそと着いて行ってきました。





この日は、対馬高校の国際交流コースの生徒の皆さんにガイドを行っております。対馬の歴史を伝えていくことも大切なことですので、この様に市内の中・高校生にガイドも行います。









熱心に聞いてますねー。


ガイドさんってすごいですよねー。時間内に要点まとめて、わかりやすく話すだけじゃなくて、日々歴史について勉強しないといけないんです。三日坊主のわたしは、頭が下がります。

ぜひ、対馬にお越しの際は「やんこも」のガイドをお聞き下さい。よろしくお願いします。
記事カテゴリ: ガイドの会やんこも
「やんこもガイド研修in釜山」について
お久しぶりです。
先日白嶽に登って、スギ花粉にやらてしまったAです(T_T)


報告が遅くなりましたが、2月21日(金)〜23日(日)の2泊3日で
「対馬観光ガイドの会やんこも」の皆さん7名と
ガイド研修のため釜山と蔚山(ウルサン)へ行ってきました。
今回で5度目のガイド研修となり、初の海外です。


なので・・いつもよりテンションはMAX!!のみなさん。
3日間ついていけるかどうか心配でした(^^;)

◆2/21(金)倭館跡見学
比田勝〜釜山へビートルで出航。
釜山に到着後、龍頭山公園周辺にある倭館跡を巡りました。



守門案内版 


館守家案内版(案内板の横にある石段は当時のまま)


↑の石段を昇った場所にあった、旧日本領事館跡



釜山のファッションビルが立ち並ぶ通りにも案内版ありました。
今まで、何度も通っているのに全然気づきませんでした(^^;)


釜山窯のあった場所です。今はロイヤルホテルが建ってました。



倭館の中にある大興寺です。
国際市場のド真ん中!!
かすかに屋根だけ見えてます。


お寺の中はこんな感じです。韓国でこの広さの畳敷きは珍しいそうです。


この後釜山近代博物館へ行き、この日の日程は終了しました。


【倭館】
江戸時代に釜山にあった対馬藩の外交施設。出島の25倍の広さがあり、対馬藩士約500名が朝鮮との
貿易や外交を行っていた場所。




◆2/22(土)倭城見学
蔚山(ウルサン)倭城、西生浦(ソセンポ)倭城、石渓書院(李藝ゆかりの書院)、龍宮寺

2日目はバスを貸切、1時間半移動し蔚山市にある倭城見学へ
ガイドは日本語もできる金 青子(キム チョンザ)さん。
蔚山市より派遣いただきました。


まず、蔚山倭城へ
文禄慶長の役で、毛利秀元、浅野幸長が築城したらしいです。
わずか40日で!!





石渓書院(李藝を祀るために建てられた書院)





西生浦(ソセンポ)倭城

加藤清正が築城した日本式のお城です。
ここは熊本市長も訪れたことがあるそうです。
ここを参考にして、熊本城は建てられたそうです。



ここでガイドのキムさんとお別れです。
やんこもの皆さんの質問もマニアックでしたが、
それに答えるキムさん、素敵☆でした。
対馬にも何度も足を運んだことがあるとのことで、
またぜひ対馬へお越しいただきたいです。


最後にガイド藤井 敦子 さん(通称・敦姫)のリクエストで龍宮寺へ・・
週末ということで、観光客で賑わっていました。


全行程終了し、ガイドの皆さんは充実した研修となったようでした。
3日間どーにか皆さんのテンションについていけました。

やんこもの皆さんお疲れ様でした!!






記事カテゴリ: ガイドの会やんこも
「対馬観光ガイドの会やんこも」研修・熊本県宇土市/熊本市
2011年9月24日(土)〜25日(日)、「対馬観光ガイドの会やんこも」の熊本研修旅行を行いました。
今回の研修は、初代対馬藩主・宗 義智(そうよしとし)とゆかりの深い小西 行長(こにしゆきなが)と加藤 清正(かとうきよまさ)について学ぶことが目的です。

清正・行長・義智のマメ知識
・加藤 清正、小西 行長、宗 義智は、豊臣秀吉・徳川家康の時代を生きた戦国武将。
・行長は商家出身で熱心なキリシタン、清正は秀吉子飼いの武将で日蓮宗門徒など、まったくタイプが異なり、合わない。
・秀吉は、この2人に肥後(熊本)を2分して統治させ、競わせた。清正は、土木治水・築城・農業政策などで人心をつかみ功績をあげるが、行長は宇土城築城に際し天草衆と戦いになるなど苦労する。
・朝鮮出兵(文禄慶長の役)に際し、行長は娘マリアを義智に嫁がせ、対馬宗家との関係を深める。義智はマリアのすすめでキリシタン(洗礼名ダリオ)となる。
・朝鮮出兵において、清正は秀吉の希望通り猛進したが、行長は秀吉を欺いてでも和平を実現しようとして、敵の策に陥る、偽の使者を仕立てようとするなど失策を重ね、秀吉に死を命じられる(のち助命)。
・秀吉の死後、関が原の合戦が勃発し、清正は東軍(家康方)、行長は西軍(石田三成方)につく。敗れた行長は、キリシタンであったため切腹(自殺)ができず、処刑され、領地は清正に与えられる。
・義智は、秀吉には朝鮮出兵の第一陣を、家康には戦後の和平交渉を命じられる。自身もキリシタンであったが、関が原の合戦後に妻マリアを離縁し、キリスト教も棄教。和平交渉の成功を家康に認められ、初代対馬藩主になるなど、激動の人生を送った。
・離縁後、マリアは長崎に送られ、そこで生涯を終える。
・加藤家は、清正の子の代に謀反の疑いをかけられお家断絶となるが、後をついだ細川家は加藤家を非常に尊重した。
・清正は今でも熊本の英雄で、名城・熊本城は熊本のシンボルであり、最大の観光資源。

三者三様の激動の人生ですが・・・

・清正は猛将・築城の名手・虎狩り伝説などで人気があるが、行長は戦下手・打算的なイメージが強く、いまいち人気がない(-_-;)
・宇土市教育委員会では、地域の偉人・行長の顕彰事業として講演会や現地ツアーなどを行っている。

宇土市駅周辺
1日目は、06:45厳原港発のジェットフォイルで博多まで2時間15分、九州新幹線で博多駅から熊本駅へ約40分、JR鹿児島本線で熊本駅から宇土駅まで11分。宇土駅に降りたものの、観光看板・案内図などもなく、小西行長のイメージは特に感じられず・・・。

行長が整備した船場
駅から少し歩くと、行長が整備した船場がよい状態で残っていました。

行長講演会
宇土市の講演会では、優れた水軍の将で商才もあるが、キリシタンであるがために政権中枢に居座ることができず、また秀吉の家臣であるためにキリシタン弾圧に加担しなければならないなど、矛盾と苦悩に満ちた行長の生涯を身近に感じました。

宇土ん行長しゃん
PRキャラクター「宇土ん行長しゃん」の発表も(^_^;)

行長像
講演会の後は、近世小西城へ。行長が整備し、死後は清正が隠居所として普請しましたが、島原の乱後に徹底的に破却されています。
行長像が西の空を見つめていました。

現代の清正
翌日は清正が築いた天下の名城・熊本城へ。3連休の最終日ということもあり、観光客も多く、武将お出迎え隊?も大人気。
清正が築いた石垣の重厚感に圧倒されました。行長と清正の人気の差にもびっくりしましたが・・・(-_-;)

本妙寺
清正が眠る本妙寺へ。もともとは清正が父のために大阪に建立、熊本城に移され、清正死後に現地に移りました。

清正像
山頂にはまさに武神!といった雰囲気の清正像が・・・。
製作は、長崎の平和祈念像で有名な北村西望(きたむらせいぼう)ですが、戦中の金属供出で失われ、戦後に再建したもの。

行長の墓所
そして、今回一番のサプライズがこれ。
本妙寺には隣接していくつも寺社がありますが、東光院というお寺の説明看板に「小西行長ノ墓碑」の文字が。
行長処刑後、家老(日蓮宗信徒?)が将来したそうです。
ちなみに行長の娘マリアは、対馬市厳原町中村の八幡神社内に祭られており、親子ともども「異教」の墓所にも祭られていることになります。

熊本の観光資本はすべて熊本城(清正)に投入されているような充実ぶりで、観光面では完全に清正に軍配が挙がっていましたが、対馬の殿様(初代藩主)の義父・行長について学ぶことができ、充実した研修旅行となりました。

>>平成22年度 「対馬観光ガイドの会やんこも」研修・山口県萩市
>>平成21年度 「対馬観光ガイドの会やんこも」研修・佐賀県唐津市/長崎県長崎市
記事カテゴリ: ガイドの会やんこも
「対馬観光ガイドの会やんこも」研修・山口県萩市
 2011年2月25〜26日にかけて、「対馬観光ガイドの会やんこも」の皆さんと、ガイド研修のため山口県萩(はぎ)市を訪問しました。
 萩は、吉田松陰・高杉晋作・木戸孝允(桂小五郎)・伊藤博文など幕末・明治の英傑を生み出した長州藩の城下町で、江戸時代の武家屋敷の街並みが素晴らしい状態で保存されており、まち歩き観光の先進地です。

 研修先が萩に決まった理由は、

・まち歩き観光の先進地で、街全体を博物館として捉える「まちじゅう博物館」の考え方でまちおこしを図っている
・日本三大墓地(加賀前田家・長州毛利家・対馬宗家)のひとつ
・民俗学者・宮本常一が、日本で城下町の街並みが残っているのは萩と厳原(対馬)の2つ、と言っている
・幕末、対馬藩は長州藩と対長同盟を結んでいた(対馬では粛清の嵐が吹き荒れ、維新の波に乗り遅れましたが・・・(-_-;))

 などなど。

 実際に行ってみると、対馬とは観光客数もガイド数・利用者数も桁違い(それでも減少傾向とか)で圧倒されましたが、よい勉強になりました。個人的には、松下村塾や高杉晋作の生家を見ることができ、感激しました(^^)

DSC08951_small.jpg
 長州藩・毛利家の3つの墓所のひとつ「東光寺」。奇数代(3代、5、7、9、11)の藩主が祭られています。寺院の大きさに度肝を抜かれました。

DSC08963_small.jpg
 藩主と奥方の墓所。寺院は中国風(黄檗宗)、墓所には鳥居もあり、不思議な雰囲気です。石灯籠は家臣が寄進したものだそうです。

DSC08991_small.jpg
 初代藩主と偶数代(2代、4、6、8、10、12)の墓所・大照院は現在改修中。さらに、毛利輝元の墓所・天樹院も見学しました。

DSC09023_small.jpg
 翌日は朝から「NPO萩観光ガイド協会」のガイドツアーに参加しました。事務局長のSさん自らガイドをしていただき、非常に有意義な時間となりました。

DSC09030_small.jpg
 萩の城下町の雰囲気です。

DSC09063_small.jpg
 高杉晋作・伊藤博文などが通った学問所「円政寺」です。長州藩では階級意識が希薄で、藩主も通っていたとか。2011年4月13日の「歴史秘話ヒストリア」(NHK)に登場するそうです。

DSC09081_small.jpg
 ガイドツアー後、「NPO萩観光ガイド協会」の事務所で意見交換会を開催させていただきました。S事務局長さんにはお忙しいなか大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。

DSC09088_small.jpg
 萩博物館では貝殻のコーナーがありました。幕末にイギリスのアクテオン号の船医が、萩沖の見島で158種(1位)もの新種の貝を発見しており、この近海は珍しい貝の宝庫だとか。実は、同号は対馬にも寄航しており、80種(2位)の新種の貝を発見しています。対馬も素材は豊富なんですが・・・。

DSC09116_small.jpg
 松陰神社の松下村塾は、多くの観光客で賑わっていました。吉田松陰という人物の存在の大きさと、萩という街が日本に与えた影響の強さを感じた2日間でした。今後、「対馬観光ガイドの会やんこも」の皆さんの説明に、萩がちょくちょく登場することでしょう(^^)


P4210019_small.jpg
 ちなみに、対馬藩主・宗家(そうけ)の菩提寺、万松院(ばんしょういん)はこんな感じです。

<観光担当N>
記事カテゴリ: ガイドの会やんこも
「対馬観光ガイドの会やんこも」研修・佐賀県唐津市/長崎県長崎市
 2010年2月14日(日)〜15日(月)にかけて、対馬観光ガイドの会やんこもの島外研修を行いました。

行程:
2月14日 佐賀県唐津市・名護屋城博物館〜長崎市・ランタンフェスタ
2月15日 長崎さるく参加〜長崎奉行所・龍馬伝館・長崎歴史文化博物館

名護屋城跡は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に築かれた巨大な城郭跡で、大阪城に次ぐ規模だったとか。有力諸大名の陣屋が築かれ、ここを拠点に、10万を超える軍勢が2度にわたって朝鮮半島に渡りました。
対馬にとっても、この朝鮮出兵と和平交渉、朝鮮通信使の往来にいたる月日はまさに「激動の時代」でした。

博物館内は撮影禁止のものも多く、撮影可能で気になったものをいくつか・・・。

IMG_1149_small.jpg
日本水軍の主力「安宅船」(あたけぶね)。平和な江戸時代には建造が禁止されたいわば「戦艦」。船に城が乗っている・・・(-_-;)

IMG_1150_small.jpg
こちらは朝鮮水軍の亀甲船。船に飛び移り、白刃での切り込みを得意とする日本軍に対抗するため?、ハリネズミのように武装しています。

IMG_1157_small.jpg
唐津城の各大名配置図。加藤清正、島津義弘、毛利輝元、上杉景勝、直江兼次など、有力大名・武将が名を連ねています。

IMG_1163_small.jpg
ランタンフェスタ初日はあいにくの雨でしたが、ランタンの数も増え、賑わっていました。

IMG_1246_small.jpg
翌朝は「さるく」に参加しました。長崎市内は坂が多く、道が入り組んでおり、レンタカーやバスでの観光が難しい地形ですが、まち歩きガイドにより観光資源をうまく利用していました。ガイドの重要性をあらためて実感しました。

IMG_1308_small.jpg
長崎は龍馬一色でした(^^)

>> 長崎歴史文化博物館
>> 長崎奉行所・龍馬伝館
記事カテゴリ: ガイドの会やんこも
国指定特別史跡「金田城跡」歴史研修
2月6日(土)、ガイド養成の現地実習の一環として金田城跡のトレッキング・歴史研修を行いました。金田城跡は、昭和57年に長崎県第1号の国指定特別史跡に指定された、7世紀の古代山城(朝鮮式山城)のひとつです。第2号は壱岐の原の辻遺跡です。

金田城跡に関する過去の記事
>>国指定特別史跡「金田城跡」現地研修会
>>対馬観光ガイドの会やんこも・金田城トレッキング研修

この日は気象条件がよく、山頂から韓国(プサン、巨済島など)の陸影が見えました。
1300年前、白村江の敗戦直後の緊張した国際関係のなか、関東から徴兵された防人たちもこの光景を見ていたのかもしれません。

DSC_3191_small.jpg
登山道の様子。

DSC_3196_small.jpg
黒瀬湾を望む。

DSC_3223_small.jpg
山頂から見た水平線。

DSC_3219_small.jpg
韓国の陸影。写真では見えないかも(-_-;)
記事カテゴリ: ガイドの会やんこも
国指定特別史跡「金田城跡」現地研修会
2009年5月30日(土)、「対馬観光ガイドの会やんこも」による「金田城跡」(かねだじょうあと、かなたのき)の現地研修会を行いました。5月16日(土)の室内での勉強会の後、「次は現地に行ってみよう!」という話になり、GPS(衛星による小型測位システム)を持参して、ルートの再確認を行いながらの勉強会となりました。

金田城跡は、白村江の敗戦後(7世紀)に対馬に築かれた古代山城。防人が常駐し、国土防衛の任にあたっていました。長崎県に2つしかない国指定特別史跡のひとつ。(もうひとつは、壱岐の「原の辻遺跡」)

20090609135659.jpg
金田城を取り巻く石塁。人工の石積みは2.9キロ、総延長5キロを超える古代の要塞です。

20090609135646.jpg
6月上旬、金田城山頂に群生するヤマボウシが花を咲かせます。

20090609140102.jpg
山頂からの眺望。気象条件がよければ韓国の山並みが見え、防人の心境にシンクロすることができます。

20090609135716.jpg
城壁の内部と外部をつなぐ「城戸」が3つ確認されています。こちらは一ノ城戸。

ガイドのご用命は「対馬観光ガイドの会やんこも」まで
http://www.tsushima-net.org/yankomo/yankomo.php

モデルコース 金田城跡トレッキング
http://www.tsushima-net.org/tourism/trekking_02.php

金田城、白村江の戦いの詳細については、
金田城(wikipedia)
白村江の戦い(wikipedia)
をご覧ください。
記事カテゴリ: ガイドの会やんこも
歴史探訪ツアーPR
yankomo.jpg

8月1日(金)、厳原港まつり対馬アリラン祭の付随イベント「歴史探訪ツアー」のPRのため、厳原町豆酘の伝統衣装「はぎとうじん」を着て、対馬空港・厳原港・対馬市交流センターで参加者募集チラシの配布を行いました。
おかげさまで参加者が増え、島内外の皆様に対馬の歴史の素晴らしさを伝えることができました。
やんこもの皆さん、スタッフのみなさん、お疲れ様でした。
記事カテゴリ: ガイドの会やんこも
対馬観光ガイドの会やんこも 第3回勉強会 宗家パート2
平成20年6月15日(日)、対馬の歴史の勉強会を開催しました。
テーマは、先週に引き続いて宗家について。

 朝鮮出兵後の和平交渉の際、宗家は苦肉の策として、徳川家康と朝鮮国王双方の国書を偽造します。3代将軍家光の時代に、それが宗家のお家騒動(柳川事件)を発端として露見。幕府を巻き込んだ国際問題に発展し、宗家は存亡の危機に直面します。今回は、朝鮮出兵・国書偽造・柳川事件の顛末について学びました。

※柳川事件
 宗家の重臣・柳川調興(やながわしげおき)が、宗家からの独立を図り、藩の極秘事項であった国書偽造を暴露した事件。徳川3代将軍家光直々に裁きが行われ、宗家側からは藩主・宗義成(宗家20代)、外交僧・玄方が証人として、柳川家側からは調興が証人として召しだされた。伊井・本多・柳生などの徳川側近、前田・毛利・伊達などの有力大名臨席のもと、義成は御咎めなし、玄方は盛岡へ、調興は津軽へ流罪となった。

 柳川事件は幕府を揺るがす大事件でしたが、実は、国書偽造の事実は幕府も朝鮮側も黙認していたとも言われています。国書偽造をやめたい宗家、家臣が主君を倒すという戦国時代の遺風を消し去りたい徳川家などの思惑が重なり、この事件が「演出」されたのかもしれません。

柳川事件(柳川一件)wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E4%B8%80%E4%BB%B6

01.jpg 02.jpg
1.まずは歴史の勉強。
2.朝鮮通信使との交渉は、基本的に漢文による筆談で行われ、漢文に堪能な僧侶が活躍しました。外交機関・以酊庵(いていあん)が置かれていた西山寺(せいざんじ)を見学。

03.jpg 04.jpg
3.朝鮮出兵(文禄慶長の役)の際に活躍した外交僧・玄蘇の像。
4.柳川事件で盛岡へ流罪となった外交僧・玄方の像。どちらも西山寺に安置。

05.jpg 06.jpg
5.宗家の庭園、旧金石城庭園(国指定名勝)を見学。
6.厳原八幡宮の宝物殿を見学。義成が献納した「高蒔絵三十六歌仙額」は、全国唯一の高蒔絵による額で必見。少弐氏が納めたヨロイや、かつてはどこかの神社の神体であったと推測されるヤタの鏡など、様々な宝物を見学できます。
記事カテゴリ: ガイドの会やんこも

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.