(一社)対馬観光物産協会ブログ

対馬の観光物産情報をお伝えします。
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「宗氏」〜支配権確立の時代〜
こんにちは!「食」担当のTです(^ ^)
めっきり寒くなってから自分の持っている服の少なさに気付く、という失態を演じてしまってマス(> <)

さぁ今回もやります私の趣味と実益を兼ねた宗家の墳墓巡り。
意外にも(?)「行ってみたい」と言ってくれる方がいらっしゃって、私もこのうえなく嬉しいです(^ ^)

さてさて、この日まず向かったのは、第4代島主「宗 経茂(つねしげ)」公の墳墓といわれている場所。
「宗 経茂」公は、宗家の、対馬における実質的支配権を確立し、朝鮮に近い地の利を生かして、
宗氏としては初めて高麗に使者を遣わし、朝鮮通交の基礎を作ったとされる人物です。

墳墓は美津島町小船越(こふなこし)・梅林寺(ばいりんじ)向かいの山の中腹にあります。

急な細い階段を登ると、



ひっそりとたたずんでおられます。


眼下には、小船越地区の街並みが。



「宗 経茂」公は、少弐氏の守護代で大宰府で執務をすることが多く、
島内実務は弟の頼次(宗香)が、仁位中村(にいなかむら)にて代行したとされています。
現在の長崎県立豊玉高等学校の裏に跡地があったとされ、そこに石碑が残っています。




宗氏の対馬での存在感を押し上げたのはこの「宗 経茂」公と宗香であったといわれます。


真下は国道382号線なのに、車の音が全然気にならないような不思議な空間でした。

拝礼した後、ちょっとお話を聞ければと向かいの梅林寺にお邪魔しました。


この梅林寺、実は日本で最も古いとされるお寺なんです(^ ^)

急な訪問に嫌な顔ひとつせず対応していただいた和尚様の話によると・・・

百済から(後に仏教を伝えるために)日本を訪れた視察団が帰路の際に対馬を訪れました。
彼らが自国に戻るためには海流の影響もあり、どうしても対馬経由のルートでないといけなかったのです。
小船越には「西の漕手(にしのこいで)」と呼ばれる場所があり、視察団はそこに到着。
彼らは対馬で約二ヵ月間、自身の長旅の疲れを癒しつつ、ついでに船の補修をおこないました。
しかし、視察団でありながらも彼らはれっきとした僧侶。この対馬に滞在しながらも修業は欠かせません。
つまり彼らが「日本で初めて」お経をあげた場所が対馬であり、その地が小船越だったのです。
だからこそ、百済の聖明王から欽明天皇に仏像や経典が献呈されるときに、
この地を選び、御堂を建て仏像を仮安置した場所「梅林寺」という寺として残った。
それが日本最古の仏跡といわれるゆえんなのです。

「西の漕手(にしのこいで)」

「日本のひとつの歴史を作ったここ梅林寺は、菊の御紋を掲げることを許された寺なんですよ。」

確かにそれはありました。
左から「葉付き裏桜」、「菊の御紋」、「五七の桐」が輝いています。



しばらくいろいろなお話を聞かせていただき、資料を見せていただいた後、
「宗家のお墓を巡るなら、必ず佐賀(さか)の円通寺(えんつうじ)には必ず行かんね。」
「はい!ありがとうございます!!」

もっとお話を聞かせていただきたかったのですが、、、
和尚様、本当にお世話になりありがとうございました(^ ^)
梅林寺を後にして、次に向かうのはその円通寺です。

とその前に腹ごしらえを。

峰町(みねまち)佐賀(さか)にある【対馬地産の味 兵丹(ひょうたん)】さんでお弁当を購入。
この【兵丹】さんは、地元の食材を使った手作りのお弁当を提供してくれます。
(予約をしておけば、店内でお食事もできます。)
今回は手作り弁当を近くの公園で美味しくいただきました(太陽の下でポカポカ)。


さてその円通寺(えんつうじ)。

こちらには宗家7代「宗 貞茂(さだしげ)」公、8代「宗 貞盛(さだもり)」公、9代「宗 成職(しげもと)」公が祀られています。



時は室町時代、当時は島内の状況が悪化していたらしく、倭寇が活発化していたようです。
7代島主「宗 貞茂」公はここ佐賀(さか)に国府を移して朝鮮との連携で倭寇を鎮定し、また朝鮮との通交貿易に力を入れました。
「宗 貞茂」公が亡くなった際には、朝鮮からの弔慰(ちょうい)使が訪れ、さらにこの梵鐘が送られたとされています。



それほど深い交流をおこなっていたんですね。
ところが、「宗 貞茂」公が亡くなると、再度倭寇が力を盛り返してきます。
少弐氏がらみで九州の領土争いに飛び込んだり、とりわけ島主の若返りというタイミングが大きかったのでしょう。
8代「宗 貞盛」公の時には朝鮮との交流が薄れ、逆に朝鮮から侵略行為を受けてしまいます。
倭寇討伐の名目で李氏朝鮮が対馬侵略を行った「応永の外寇」(Wikipedia)がそれです。
ただ、倭寇に悩む朝鮮と、朝鮮貿易に活路を見出さなければならない対馬との間において、徐々に関係が回復されていきます。
その後結ばれた嘉吉約条では、朝鮮との外交窓口として実利優先で貿易をおこないます。
8代「宗 貞盛」公から9代「宗 成職(しげもと)」公の時代、山地が多く耕地が少ない対馬においては食糧の自給が難しいため、
朝鮮との貿易による利得を得ながら、外交面での権威を高めていったという時代でもあったのです。
佐賀が国府であったこの宗家3代の時期がもっとも充実し、もっとも野望にあふれていたという見方もあります。
その墳墓が、円通寺裏に祀られています。






この円通寺の入口には朝鮮通信使に尽力した「李芸」の碑がありますが、
それはまた次回以降に。(さらっとこのシリーズを続かせようというアピールを。。。)

また、この峰町には小茂田浜にて元寇で玉砕した初代「宗 資国(すけくに)」公の兄であり、
この地にて同様に元寇に立ち向かった「宗 甲斐六郎」が祀られている普光寺があります。


帰路につきます。途中、寄り道。

和多都美神社(この時間は干潮でした。)



烏帽子岳展望台(写真では伝わりませんが・・・さ、寒い!!)


実はこの日、朝の気温はマイナスを記録していたので早々と切り上げました。

ブルブル震えながら法定速度で厳原に戻り、体を中から温めようと・・・。
こちら【志まもと】さんにお邪魔しました(^ ^)



地元の郷土料理で代表的な「ろくべえ」です。


「あー、やっぱり美味い!」


ホッと一息(^o^)
すごく体が温まりました(^ ^)

さて次回の訪問地も、梅林寺の和尚様のおかげで浮かんできています(^ -)
ありがとうございます。

皆様、このシリーズについて来て下さいね!!!


【お問合せ先】
対馬地産の味 兵丹(ひょうたん)
TEL 0920-82-0032

志まもと
TEL 0920-52-5252
記事カテゴリ: 対馬の歴史

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