(一社)対馬観光物産協会ブログ

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伊達 政宗と対馬藩主・宗家(そうけ)の物語
 こんにちは、局長Nです。

 お彼岸に事務所当番、You Tubeでgoose houseの音楽を聞きながら事務仕事のポンポコピーで帰れません。

(全然伝わらないと思いますが、もう説明はしません(-_-;))


 2015/4/15(水)の「歴史秘話ヒストリア」(22:00〜22:43)で対馬の「国書偽造事件」が取り上げられます。

 初代対馬藩主・宗 義智(そう よしとし)の子である義成(よしなり)の時代、幕府を震撼させた一大外交スキャンダル「柳川一件」がテーマです。

万松院
写真: 宗家の菩提寺・万松院の百雁木(ひゃくがんぎ)


 江戸城の大広間において、三代将軍・徳川家光が直々に、宗 義成とその家臣である柳川 調興(やながわ しげおき)を裁いたという、江戸時代最大とも言える裁判事件。

 大広間には、戦国の生き残り伊達 政宗(だて まさむね)、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家、松平 信綱(知恵伊豆)、柳生 宗矩(やぎゅうむねのり。将軍の剣術・兵法指南役)、加賀の前田氏、薩摩の島津氏など、幕閣から外様の大大名、旗本までが列席していました。

三具足
写真: 朝鮮王朝から贈られた仏具・三具足(みつぐそく)。日光東照宮にも贈られています。

 下馬評では、主君を訴えた柳川が有利だったのですが、伊達 政宗は義成支持を公言してはばかりませんでした。


「将軍家の御沙汰で、もし柳川が勝ったならば、調興を屋敷に帰さず、かならず切り捨てるよう私の家臣に申し付けております。

 朝鮮の役のとき、我われはあなたのお父上の義智公に命を預けました。

 朝鮮での私の働きに対して、太閤殿下は感状を賜われましたが、それも対馬守殿が少人数で危機を救ってくれたおかげです。

 その恩に今こそむくいたいと存じております」 (『柳川実紀』)

※ 「書き替えられた国書 徳川・朝鮮外交の舞台裏」(田代和生・中公新書)


 たとえ将軍の裁可であっても認めない、受けた恩義は忘れない、という戦国時代の生き残り、伊達 政宗の言葉がかっこいいです(>_<)

万松院まつり1
写真: 万松院まつり(秋)。


 その政宗に「命を預けた」と言わしめた対馬藩主・宗 義智とはいかなる人物なのか?!


 洗礼名「ダリオ」をもつキリシタン大名で、妻は小西行長の娘マリア。

 朝鮮出兵の先鋒を命じられ、また水面下では命がけの和平交渉を果たす。

 そして、国書偽造という禁断の外交手段に手を染める・・・。

 今年は、義智が亡くなり菩提寺・万松院(ばんしょういん)が創建されて400年の節目の年。 

義智公の墓
写真: 義智公の墓所。


 詳しくは、歴史秘話ヒストリア、見てね♪ (説明、雑っ)

記事カテゴリ: 対馬の歴史

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