(一社)対馬観光物産協会ブログ

対馬の観光物産情報をお伝えします。
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神社調査について、その3
前回の記事の続きです。
今年度、神社庁に登録されている対馬の神社約130社の写真撮影を行っていますが、いよいよ最後のエリア、上県町(かみあがたまち)の西海岸部です。

対馬市上県町(かみあがたまち) 志多留(したる)→伊奈(いな)→越高(こしたか)→御園(みそ)→犬ケ浦(いぬがうら)

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【志多留・大将軍山(でじょうぐやま)古墳】
志多留の集落近くの山の斜面にある古墳です。現在は箱式石棺が残されているだけですが、漢鏡と玉などが出土しており、古墳時代の有力者が埋葬されていたと考えられています。

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【賀島恕軒(じょけん)の碑】
伊奈の集落を歩いていると、賀島恕軒(兵介)の草庵跡の石碑を発見。
恕軒は、江戸時代に対馬藩の飛び地であった田代領(佐賀県鳥栖市・基山町)の代官所副代官として善政を敷き、その徳を偲び、現在でも佐賀で「賀島祭」が行われているという人物。

佐賀新聞・2009年4月
 >>「善政の賀島公 遺徳しのび神事―対馬市からも関係者」

 ・・・が、対馬に戻って藩政を批判、三代藩主・宗 義真(そうよしざね)の逆鱗に触れ、伊奈に謹慎、そこで生涯を終えました(-_-;)
 いったん取り潰された賀島家ですが、田代領から追慕の声が高く、数十年後に賀島家は再興、名誉回復しました。恕軒の墓所は厳原町久田道の海岸寺にあります。

 余談ですが、田代領では対馬藩を通して朝鮮の薬(奇応丸、千金丹など)の輸入が行われたため売薬・製薬が盛んで、幕末に久光仁平が小松屋を創業、明治になって「奇神丹」を発売、それが日清・日露の軍用薬になり、「サロンパス」(昭和9年発売)で有名な久光製薬に発展していきます。

 >>薬100話
 >>久光製薬・沿革

DSC07884(伊奈・伊奈久比神社)_small.jpg
【伊奈・伊奈久比(いなくい)神社】
伊奈は、白鶴が稲穂を落とし、それを耕作適地の志多留に植えたのが稲作の始まり、という起源伝承がある地域です。
伊奈久比神社の祭神は大歳神(穀物神)で、「いなくい」は、「稲」+「食」または「くぐい」(白鳥の古名)などの説があるそうです。
「穂流川」にかかる橋は「鶴鳴橋」。

【越高】
越高には縄文早期末・前期(6500〜7000年前)の遺跡があり、九州産の黒曜石と朝鮮半島の土器が同時に出土しています。
中国に古代文明が生まれる前から、対馬の縄文人は九州と朝鮮半島を小船で往来していたのです。

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【御園】
御園にはヤマネコトンネルとかわいい神社がありました。

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【犬ヶ浦・不思議な岩】
犬ヶ浦には出雲の国造りで活躍する「スクナヒコナ」を祭った「鷦鷯(さざき)神社」がありますが、由緒は不明。
以前から気になっていた道路端の「金山宮」にて。
ご神体?(-_-;)


こうして、対馬の神社をめぐる旅は終わったのでした。
神社はほぼすべての集落にあるため、はじめて訪れる集落もあり、いろいろ新発見もありました。ほとんどの神社が素朴で、一般観光向けではないのですが、今後代表的なものをピックアップしてご案内できるようにしていきたいと思います。
※志賀島、黒島、内院島など、通常の移動方法で行くことができない無人島は除外しています。(そのうちシーカヤックで行きます)
※神社庁に登録されている神社が約130社、登録外はその数倍あり、撮影中にもたくさん見かけたのですが、見て見ぬフリをしました(^^;)

次回は、「街道をゆく13 壱岐・対馬の道」で司馬遼太郎が訪れた道や、対馬のお酒を紹介する予定です。

(観光担当N)
記事カテゴリ: 対馬の式内社をめぐる

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