(一社)対馬観光物産協会ブログ

対馬の観光物産情報をお伝えします。
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対馬要塞群を歩く 「温江砲台・大石浦砲台・小松崎砲台編」(フィナーレ)
 こんにちは、砲台人間ベロこと観光担当Nです。

「それは、仕事なの?趣味なの?」
「ブログの写真が枯れ葉色ばかり」
「『坂の上の雲』、本当に対馬出るの?」

 といわれなき非難を浴びている(ような気がする)「対馬要塞群を歩く」シリーズですが、2011年12月8日(木)にいよいよフィナーレを迎えました(たぶん)。
 今回は、対馬でもっとも古い明治21年竣工の4砲台のうちの2つ、温江(ぬくえ)砲台・大石浦(おおいしうら)砲台と、逆にもっとも新しい太平洋戦争末期の小松崎(こまつざき)砲台を調査しました。

豊玉町貝鮒入口
 まずは対馬市豊玉町貝鮒(とよたままちかいふな)へ。貝鮒集落の丘の上にお寺があり、そこが温江砲台の入り口になります。

温江砲台への道
 湾沿いの道を歩いていきます。奥は湿田状になっており、鴨などの冬鳥がにぎやかでした。

陸防
 砲台探索の基本となる陸防(境界標石)を発見。多くの場合、砲台へ続く軍道に沿って設置されています。

温江砲台1
 竹やぶを覚悟していましたが、途中、植林地の間伐のためにやぶも伐採されており、あっさりと弾薬庫に到着。
 写真を撮る砲台人間ベラこと担当Sと、今回、休日なのに案内していただいた砲台人間ベムこと(殴)対馬観光ガイドの会やんこも副会長・砲台の専門家・小松津代志さんです。

温江砲台2
 写真右側に数m四方の井戸がありますが、表面に落ち葉が浮いておりまったくわからない状態でした。
 気づかず落ちる危険性があるため、注意してください。
(ここまで来る人がいれば・・・の話ですが)

温江砲台3井戸
 しつこいですが、要注意。

温江砲台・軍道
 海岸に続く道です。明治時代中期に、岩盤を掘削してこんな道を作ったんですね。

温江砲台・額
 温江砲台は、
「明治20年4月起工、明治21年3月竣工。工兵長 陸軍工兵中尉 時尾善三郎」。
 まったくレンガを使用せず、石だけで築かれています。
 12センチカノン4門が設置されていました。
 ちなみに砲台がある山の名前は「遠見山」。おそらく江戸時代に異国船監視のための遠見(監視所)があったんでしょうね。

大石浦砲台・入口
 続いて豊玉町深里(ふかり)の大石浦砲台を目指します。
 ふだん観光案内でもめったに訪れない地域ですが、道路沿いに砲台入口の看板が立っていました。

陸防
 急斜面を登り、尾根道を歩きます。陸防があるので砲台に間違いないです(^^;)

三角点
 107mのピークに4等三角点がありました。最近設置されたばかりのようです。

砲台担当S
 何もないところで滑るベラことS。
「落ち葉と友達やね」
「うるさい!」

大石浦砲台
 レンガをまったく使用していない弾薬庫。
 120年以上前に完成しているのですが、すばらしい保存状態でした。
 江戸時代の技術を受け継いだ明治の職人の技なんでしょうか。
 木材もよいものを使っているのか、ちゃんと残っていました。

大石浦砲台・額
「明治20年9月起工、明治21年10月竣工。工役長 陸軍工兵中尉 時尾善三郎」。
 起工も竣工も温江砲台より半年遅いのですが、28センチ榴弾砲が6門も設置された大型・本格的な砲台です。

弾薬庫内
 内部には湿気予防の漆喰(しっくい)が塗られ、奥上部には空気穴が開いています。

石切り場
 大石浦砲台ではやたらと「石」が目につきました。
 海に続く道を降りていくと、切り石が積まれている場所があり、近づいてみると・・・。

石切り場2
 石切り場を発見!
 ドリル+発破で石を割り、石材として利用していたようです。
「大石」という地名からして、昔から石の産地だったんでしょうね。
 対馬の砲台では膨大な量の石材が使われていますが、謎が少し解けたような気がします。

帰路
 対馬最初期の砲台を堪能した砲台人間たちでした。
「いやー、石がすごかったね」
「洋物のレンガなんか使わねえ!という明治の職人魂を感じたね」
 会話がウルトラ・マニアックだぞ、砲台人間・・・。


ナベヅル?幼鳥
 豊玉町廻(まわり)に移動すると、田んぼのなかに大きな鳥がいました。
 対馬は野鳥の渡りの中継地なので、冬にはナベヅル・マナヅルなどを目にしますが、群れからはぐれたナベヅルの幼鳥でしょうか。

砲台担当S、ヘロヘロ
 いよいよ最後の小松崎砲台です。
 急斜面の山道で疲労困憊のベラ。
「だいじょうぶかー!」
「ふはー!ふほー!」
(見てわからんかー!)

小松崎からの眺め
 浅茅湾南岸からよく見ていた牛島が目の前にありました。
 対岸は砲台が4つもある美津島町尾崎(みつしままちおさき)。

小松崎砲台・砲座
 小松崎砲台には昭和期の三八式野砲が4門あるはずなのですが、4つ目が見つからず、帰ろうとしていると・・・
「なんか、こっちが怪しい・・・あった!」
 ベラが4つ目を発見し、ミッション・コンプリート!

直降
 そして帰路。明確な道がないので、斜面を直降。
「ふはー!ふほー!」
(はやく人間になりたーい!)
 もしくは
(はやく普通の主婦に戻りたーい!)

車にてコーヒータイム
「コーヒーがうめーなー」(ベラことS)
「さすがの俺も、1日に3つも砲台を歩いたのは初めてやね」(ベムこと小松さん)
 歩数は2万歩を超えていました・・・。

夕暮れ
 職場に着くころにはとっぷりと日が暮れていました(-_-;)


 こうして、「対馬要塞群を歩く」シリーズは終了したのでした。
 対馬の31の砲台のうち、立入禁止になっている根緒の3砲台、郷崎砲台、海栗島砲台、竜ノ崎第1砲台を除く25の砲台を訪れたことになります。

Googleマップ
>>対馬要塞群・砲台マップ「温江砲台・大石浦砲台・小松崎砲台」


対馬要塞群とは、いったい、何だったのでしょうか。
(BGMはNHK歴史秘話ヒストリア風)

 1861年の「ポサドニック号事件」(ロシア軍艦による対馬の浅茅湾(あそうわん)占拠事件)は、帝国主義時代のロシア(とイギリス)の脅威を日本(幕府)に知らしめた、もうひとつの「黒船来航」でした。
 明治維新後、政府の中心にいた薩摩人・長州人は、幕末に外国の軍艦の力を嫌というほど見せつけられた経験もあり、まず東京湾要塞の建設=首都防衛を計画し、次に対馬要塞群の建設=浅茅湾(あそうわん)防衛に着手します。
 ポサドニック号事件のように、浅茅湾が外国に奪われれば、そこを足がかりに日本本土が侵攻される危険があったためです。

 まず明治20年代に芋崎・温江・大石浦・大平(低)の4砲台が建設されます。
 明治27〜28年には日清戦争が勃発。
 戦後、浅茅湾の重要性は増し、竹敷(たけしき。対馬市美津島町)に海軍要港部が設置され、水雷艇・駆逐艦の拠点になります。
 明治30年代にはロシアとの軍事的緊張が極限に高まり、14もの砲台・堡塁が浅茅湾周辺に建設。
 明治37〜38年の日露戦争・日本海海戦では、対馬沖が舞台になり、日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を壊滅させます。
(日本海海戦の日本以外での呼称はBattle of Tsushima=「対馬沖海戦」)

(NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を見てください<(_ _)> )

 皮肉なことに、日露戦争の勝利後、日本が韓国を併合したため、対馬は「国境の島」ではなくなり、その重要性も低下し、大正元年、竹敷要港部は廃止。
 そして軍事的緊張がふたたび高まった昭和初期、対馬の北部に豊砲台、南部に竜ノ崎砲台などの巨大砲台が建設され、壱岐・朝鮮半島の砲台と連携して日本海の入口を封鎖する役割を果たします。
 敗色が濃くなった大戦末期、重厚・堅牢な名要塞がいくつも建造されてきた対馬に、「粗末な急造の砲台」が登場します。
 戦争開始期には想定しなかった、外国による日本本土上陸作戦に備えるためでした。

 1945年8月6日、広島に原爆投下。
 同年8月9日、長崎に原爆投下。
 同年8月15日、日本、ポツダム宣言を受諾。終戦。

 戦時体制最後の総理大臣は、若き日に竹敷で水雷艇・駆逐艦を指揮して日清戦争・日露戦争を戦った鈴木貫太郎でした。


 戦後、要塞法による制約が解かれ、対馬要塞群を守る人もいなくなり、一部は鉄を取るために破壊され、一部は石材を剥がれ、一部は公園化されました。
 高台にある砲台は絶好の遠足地でしたが、樹木に覆われて展望が利かなくなると訪問する人も減り、次第にその存在を忘れられていきました。
 かつて、莫大な予算と高度な技術で建設された対馬要塞群は「戦争の負の遺産」として見られ、特に保護されることもなく、現在に至っていますが、一部の有志により看板が設置され、書籍が発行されるなどの地道な活動が続いています。

 2010〜11年 対馬市・対馬観光物産協会による姫神山砲台の整備(支障木伐採、看板設置、道路整備)、対馬要塞群ウォークイベント実施。
 2011年11月18日 「深浦水雷艇隊基地跡」が土木学会選奨土木遺産に認定。
 年末NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」最終部放送。
 2012年 郷山砲台整備予定。対馬要塞ガイドブック作成予定。


 対馬の歴史は、日本の外交の歴史そのものです。
 対馬要塞群は、幕末に欧米列強の強大な圧力を受けた小国・日本がいかにして中央集権国家を築き、アジアや欧米の国々とどのようにかかわってきたかという100年を超える歴史物語を、森の奥でひっそりと、現代に伝えているのです。



 おいら怪しいものじゃないよ!
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