(一社)対馬観光物産協会ブログ

対馬の観光物産情報をお伝えします。
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対馬砲台群を歩く 「竜ノ崎砲台・豆酘砲台編」
 こんにちは、観光担当Nです。
 2011年11月25日(金)、韓国旅行ですっかり砲台の毒気が抜けた感のある担当Sを元の世界に引き戻すべく(殴)、厳原町安神(いづはらまちあがみ)の竜ノ崎第2砲台と、同町豆酘(つつ)の豆酘砲台の調査を行いました。
 対馬の砲台は、第1期(日清戦争前、明治20年代)、第2期(日露戦争前後、明治30年代)、第3期(第2次大戦前、大正〜昭和10年代)に分類されますが、両砲台は昭和期に完成した第3期の砲台になります。

 安神には竜ノ崎第1・第2の2つの砲台がありますが、第1砲台(30cmカノン2門 起工:大正13年9月、竣工:昭和4年3月)は現在、海上自衛隊下対馬警備所内にあり、立入禁止のため今回の調査から除外しています。

竜ノ崎砲台入り口付近
 第2砲台入口前の、テンション低めのS。

竜ノ崎砲台入り口
 ・・・で、入口がこれ。上対馬町豊(とよ)にある豊砲台(40cmカノン、有効射程30キロ)は、ボタンを押せば照明がつき、内部を見学できる珍しい観光施設(というか本物の砲台跡)ですが、
ここは照明なし。懐中電灯が必須、しかも崩壊が激しく自己責任(-_-;)
 ビクビクしながら入ると・・・。

砲台内部
 崩れてる!なんか散乱してる!(@_@;)

砲台内部
 土砂が入ってきてる!(@_@;)

砲台内部
 瓦礫だらけ!もう駄目かも!(@_@;)

砲台探検隊
 お前は川口浩探検隊か!(30代以上限定)

砲台内部
 ・・・あれ?10mほど進むと、もう砲座? ちょっと拍子抜け(殴)

砲台内部
 豊砲台をそのまま小さくしたような砲台でした。

鍾乳石
 ちょっとびっくりしたのが、砲座の上部から垂れてきていた鍾乳石。

鍾乳石
 コンクリートの洞窟内では成長が早いようで、第2次大戦後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に武装解除されてからわずか数十年の間に、ここまで伸びたんでしょうか。

弾薬庫入り口
 第1砲台は海上自衛隊敷地内で立入りできないため、弾薬庫だけ見学することにしました。入口はこんな感じ。

弾薬庫内部
 地下なのに、めちゃめちゃ広いです。奥にSがいるのがわかりますか?

竜ノ崎砲台
 外部から、砲座の上部に登ってみました。柵がないので、転落に注意。
 明治の砲台のようなレトロ感・デザイン性はなく、昭和の巨砲・豊砲台よりもスケールが小さい、という点で微妙な砲台跡でした。
竜ノ崎第2砲台 30cmカノン2門 起工:昭和8年8月、竣工:昭和11年3月
※ 有効射程25キロ。目的は、壱岐の砲台との挟撃による対馬海峡制海。


豆酘崎からの眺望
 竜ノ崎砲台の調査が順調に進み、気をよくした砲台部員2名は、対馬南西端の豆酘崎へ。
 豆酘崎は海流を両断するように南西に突き出した岬で、遊歩道が整備されており、対馬を代表する景勝地のひとつです。
 そっちをPRすべきじゃないのか、という声は置いといて(-_-)//

豆酘崎灯台を見上げる
 写真中央左上方に見える豆酘崎灯台は、砲台の観測所跡に昭和62年に建てられたもの。砲台が灯台になったわけです。

豆酘崎灯台
 48キロ先を照らす光量があり、海の難所・豆酘崎沖の航海の安全に貢献しています。

砲座
 灯台下を徘徊、もとい、踏査して見つけた砲座です。

弾薬庫
 弾薬庫の鉄の扉も健在でした。

探照灯格納庫
 探照灯(サーチライト)格納庫は、遊歩道の途中にあります。

豆酘砲台 2連装15cmカノン4門 起工:昭和11年11月、竣工:昭和14年1月 
※ 目的は主に旧ソ連の潜水艦制圧。

アワビの殻
 探索中に見つけた大量の(古い)アワビの殻。大人の手のひらほどもある、現在ではなかなか見れないサイズの殻が散乱していました。
 砲台は重要な軍事施設で、戦前・戦中は周辺での漁が禁止されていたため、砲台近辺の海域は魚介類の宝庫だったようです。
 真偽のほどは不明ですが、戦中に砲台付近が爆撃され、その衝撃で大きなアラ(クエ)が浮いてきて、地元の方のご馳走になった、という笑い話もあるそうです。


 さて、この日最後のターゲットは、内山峠の「アカハラダカ観察所」と龍良山(たてらやま)の間にあるという「対馬要塞地帯標」です。
(前回の「上見坂〜有明山縦走トレッキング」の記事にも登場しました)
 楽勝だと思っていましたが、まさかの大苦戦(またかい)。

対馬要塞地帯表
 これが要塞地帯標。1キロくらい先かな?と予想していたところ、三角点を2つ越え、対馬野生生物保護センターが設置したツシマヤマネコの自動撮影カメラに撮影されながら歩き、結局、3.1キロも先にありました(-_-;)

 14:00に出発して、戻ってきたのは16:20。夕暮れが迫っていました。
 ヘッドライトやザイル、GPSなど砲台探検の装備一式はいつも持参しているものの、

「日が暮れて捜索願いとか出されたら、超恥ずかしい・・・」
「夕闇の原生林を徘徊する姿を自動撮影されるなんて嫌だ・・・」
「職員Tから、『車を使いたいので早く帰ってきてください(遊んでないで)』とプレッシャーの電話がかかってきてるのに・・・」

 いろんな不安が頭をよぎりました(-_-;)

内山峠アカハラダカ観察所にて
 ・・・が、あまり懲りているようには見えない砲台部員Sでした。


Googleマップ
>>対馬砲台群・砲台マップ「竜ノ崎砲台・豆酘砲台」

【交通アクセス】
厳原港→(県道24号線を7km南下)→安神四叉路(左:安神集落、中央:内山坂トンネル、右:内山峠)を中央へ→内山坂トンネル入口の分岐点を左(久和方面)へ→安神隧道入口の分岐点を左へ曲がり、道なりに坂道を降りていくと海上自衛隊下対馬警備所に到着。総距離12.5キロ。

Googleマップ
>>厳原港〜厳原町安神(あがみ)

厳原町豆酘(豆酘)まで。
上記安神四叉路の中央・内山坂トンネルを通過→内山集落を経由して、瀬(せ)集落の河口近くの分岐点を左折、豆酘方面へ→豆酘崎(地元豆酘では豆酘崎のことを「尾崎山」と呼びます)。厳原港からの総距離約25キロ。

Googleマップ
>>厳原港〜厳原町豆酘(つつ)・豆酘崎

※対馬空港から厳原港までは国道382号線を南下12キロ。
記事カテゴリ: 対馬砲台群を歩く
対馬砲台群を歩く 「四十八谷(しじゅうやたに)砲台編」
 こんにちは、相変わらず雨男(-_-;)、観光担当Nです。
 2011年11月8日(火)、今年度の重点観光資源である対馬要塞調査の一環として、対馬市美津島町島山(しまやま)の「四十八谷(しじゅうやたに)砲台」の踏査を行いました。

 島山は、1994年に浅茅パールブリッジにより対馬本島と結ばれるまで、浅茅湾に浮かぶ大きな「島」でした。四十八谷砲台は、島山の西部にハンマー状に突き出した半島(谷・断崖だらけなので「四十八谷」)にありますが、陸路はなく、船やシーカヤックでしか行くことができません。
 対馬の数多い砲台のなかでも踏査が困難な部類ですが、浅茅湾中央に位置する軍事上の最重要拠点でもあり、不安と期待が入り混じった珍道中(^^;)となりました。

出発準備
 今回は、対馬エコツアーの上野さんにガイドをお願いして、海からのアプローチです。島山から出発する予定でしたが、午後から雨の予報(-_-;)のため、最短距離の道路沿いから出発しました。四十八谷までは片道約2キロ。

シーカヤックからの眺め
 道路の下の海岸で、石積み(と水門)を発見。美津島町昼ヶ浦に続く道路は、明治の土木技術に支えられていたのです。シーカヤックならではの発見でした。

四十八谷へ
 今回のメンバーは、ガイドの上野さん、砲台兼中対馬ガイド養成担当S(シーカヤックは初体験)、対馬砲台群を歩く 「多功崎砲台・樫岳砲台・郷山砲台編」に続いて参加のA、Nの4人です。

四十八谷へ上陸
 ハンマー状の四十八谷の付根にあたる集浦(あつまりうら)が上陸地点。ウォーターシューズからトレッキングシューズへ履き替えます。

軍道の様子
 軍道はこんな感じです。

井戸
 明治期の砲台でよく見かける3点濾過式の井戸を発見。

弾薬庫
 弾薬庫はあまり見かけない三角屋根タイプ。

28センチ榴弾砲・砲座
 このブログですっかりおなじみ「28センチ榴弾砲(りゅうだんほう)」の砲座跡です。通常は2門1組ですが、ここは6門が直列に並んでいました。
 標高は約20m。観測所は標高100mにあるので、かなり低い位置から斜め上方に撃ち上げることになります。

海軍用地の石標
 一般的に砲台は陸軍の施設ですが、四十八谷には陸軍・海軍の施設が混在しています。

棲息掩蔽部その1
 山頂(標高約100m)で、芋崎砲台と同じ半地下式の棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)を発見。通常は弾薬庫として利用する場合が多いのですが、砲座は80mも下にあるため、別の利用方法があったんでしょうか。

棲息掩蔽部その2
 ほぼ無傷。竣工は明治33年(1900年)なので、約110年の風雪に耐えてきたことになります。

観測所前からの眺め
 観測所の数メートル前は断崖で、眼下に浅茅湾を一望できます。
 この日はあいにくの天気でしたが、晴れた日にもう一度来てみたい絶景でした。

お茶タイム
 上野さんが準備してくれたレモンティーでほっと一息。

軍道と車止め
 もうひとつの観測所へつながる軍道には、石の車止め(馬車の転落防止?)が綺麗に残されていました。

指令所?
 2つ目の観測所には、棲息掩蔽部と指令所?がありました。
 「撃てー!」

浅茅湾を一望
 浅茅湾の西側、朝鮮半島方向に口を開く大口瀬戸です。景観を楽しみながらランチの後、ふたたび海岸へ。

シーカヤックからの眺め
 集浦から南西約1キロの地点にあるもうひとつのターゲットを目指します。
 上陸地点を探してウロウロしているうちに、予報どおり雨が降り始めました(-_-;)

やぶこぎ
 桟橋跡から無理やり上陸したものの、楽勝だと思っていた最後のターゲット直前で、まさかの大苦戦。
 「本当にこれでいいのかー!」「要塞マニアでも行けねーぞー!」「引き返すかー!」「ここまで来たら、行かなたい!」
 もう滅茶苦茶(^^;)

謎の建物その1
 斜面を這い上がり、軍道を発見。その先にはすべてレンガで造られた謎の建物が・・・。
「すげー!」「ラピュタは本当にあったんだ・・・」

謎の建物その2
 屋根の一部が破損していますが、レンガを丁寧に積み上げ、曲線を多用した優美なデザインに感動しました。
 「今まで見てきた弾薬庫とは全然違うねえ」
 (この建物の正体は最後に)

丸窓の木枠
 内部には、円形の窓の木枠が残っていました。

転落するS
 ・・・が、無理やり登ったので、帰りはもっと大変。
 「落ちるー!」
 泥の斜面を滑り落ち、3回転するS。

落ちそうになる上野さん
 ガイドの上野さんも落ちそう。
 「あぶねー!」

泥だらけのA
 ずぶ濡れ+泥まみれのA。
 「泥だらけやんか!もう!」

惨状
 泥でコーティングされたトレッキングシューズを、海水で洗うという、かつてない惨状(-_-;)

みたびシーカヤックへ
 こうして、四十八谷砲台の調査は無事(?)終了したのでした。


 その翌日、学研の「日本の要塞」を何気なく見ていたSが声をあげました。
 「あっ、昨日の建物、津軽要塞の海軍水雷司令部と同じデザイン!」
 なんと、四十八谷の謎の施設は、近年になって地元の方によって確認されたという函館の海軍水雷衛所と同じものだったのです。
>>「銀ぎつね」さんのブログ「なんだか函館」

 「対馬観光ガイドの会やんこも」副会長で、砲台の専門家の小松津代志さんに電話すると、
 「うん、あれは砲台(陸軍)じゃなくて、海軍の水雷衛所よ。桟橋跡?もう道はなかったろうもん。東側にちゃんと軍道があって、施設もいろいろ残っとるよ。インターネットでも四十八谷の水雷衛所の画像は見たことがないけん、初公開になるかもね」

 12月放送のNHKドラマ「坂の上の雲」(原作・司馬 遼太郎)では、主人公の秋山 真之(あきやま さねゆき)が、ロシアのバルチック艦隊の進路が対馬海峡か、津軽海峡か、で悩むシーンがあります。結局、対馬沖が決戦の舞台になるのですが、対馬の要塞群を見てくると、明治政府は10倍の国力をもつロシア相手に、万全の備えで決戦に臨んだんだなあ、と感じます。

 勝ち誇るS。かなり悔しいNでした。


【交通アクセス】
 瀬渡し船などの利用も可能ですが、単独では砲台や観測所までたどり着けない可能性が高いため、ガイドつきシーカヤックツアーへの参加をお勧めします。
 おもに、雑草が繁茂しない秋・冬のオプションツアーになりますので、くわしくは下記にお問い合わせください。
>>対馬エコツアー

Googleマップ
>>対馬砲台群・砲台マップ(四十八谷砲台付近)
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「対馬砲台群〜姫神山砲台ウォーク〜」の実施について
 こんにちは、雨男+要塞部員1号こと観光担当Nです。

 2011年10月29日(土)、「対馬砲台群〜姫神山砲台ウォーク〜」を(お約束の雨のなか)開催しました。
 一般参加者30名(定員)、スタッフ2名(+1名は公用車で同行)、ガイド1名でバスはぎゅうぎゅう、満員御礼でした。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました<(_ _)>

※今回のコースの概要は、先日の勉強会の記事(中対馬ガイド養成「大船越〜姫神山砲台〜万関」編)および(対馬砲台群 「姫神山(ひめがみやま)砲台」について)をご覧ください。

大船越
 一行はまず、対馬とロシアの因縁の地、対馬市美津島町の「大船越」(おおふなこし)へ。
 今から150年前の1861年、東アジア進出を目論むロシアの軍艦により、対馬の一部が占拠され、島民に犠牲者が出た「ポサドニック号事件」の舞台となった場所です。

万関展望所
 支障木の伐採により本来の姿を取り戻した万関(まんぜき)展望所です。万関橋、白嶽、城山、浅茅湾など、悠久の歴史が刻まれた美しい自然景観を楽しむことができます。

姫神山砲台1
 展望所を後にした一行は、姫神山砲台へ。参加者の皆さんが見上げているのは・・・。

姫神山砲台2
 イギリス式のレンガ積みが美しい姫神山砲台の弾薬庫です。

ミリメシ
 砲座(大砲が据え付けられていた石造りの土台部)でお弁当タイム。
 今回は、ミリメシ(ミリタリー+ご飯。自衛隊の売店で購入できる携帯食で、発熱剤と水が反応し、ほかほかのご飯が食べられる)を準備しました。容器が水蒸気を噴きあげ、ちょっと不思議な光景です。

姫神山砲台3
 姫神山砲台は、当時の代表的な砲台である28センチ榴弾砲(りゅうだんほう)が6門も設置された、対馬の明治期を代表する砲台跡です。

記念撮影
 記念撮影です。参加されたみなさま、ありがとうございました<(_ _)>

対馬ひめがみ
 姫神山砲台は、対馬市美津島町緒方(みつしままちおかた)にあります。緒方はイカ漁がさかんで、地元の主婦による生産者グループ「対馬ひめがみ」では、イカのミミだけを使う緒方独特の塩辛「ひめがみ漬け」などの特産品を生産しています。

詳しくは過去のブログをごらんください。(プレゼントは終了しています)
>>「ひめがみ〜美津島町緒方地区〜」
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対馬砲台群を歩く 「芋崎砲台・大平砲台編」
こんにちは、観光担当Nです。
2011年10月11日(火)、今年度の重点観光資源である対馬要塞調査の一環として、美津島町昼ヶ浦の芋崎砲台と大平砲台の調査を行いました。
両砲台は、明治20年起工、同21年に竣工した対馬最初期の4つの砲台のうちの2つです。

芋崎入口の看板
美津島町昼ヶ浦は、1861年(ちょうど150年前)にロシアの軍艦によりその一部が占拠されてしまった因縁の地です。対馬の防衛のため、明治20年に砲台が設置されました。

井戸
対馬の砲台跡でよく見かける3点濾過式の井戸です。

芋崎
石造りの重厚堅牢な砲台が、100年以上の時を超えて存在感を示しています。
対馬の砲台は、第1期(日清戦争前)、第2期(日露戦争前後)、第3期(第2次大戦前)に分類されますが、芋崎砲台は第1期の砲台です。

砲台の扁額
扁額には、起工・竣工・建設責任者の名前が刻まれていました。

棲息掩蔽部
半地下式の棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)です。通常は弾薬庫などとして利用し、緊急時には兵舎などにもなります。
右手に写っているのは、中対馬ガイド養成担当(砲台担当?)S。

棲息掩蔽部の内側
内部はこんな感じ。湿気対策として、しっくいが塗られています。
右手に写っているのはコウモリ。

観測所
ちょっとわかりにくいところにあった観測所。観測所で敵艦などの方位・距離などを計測し、砲座に伝達します。

露寇の碑
芋崎砲台から10分ほど海に降りていくと、ロシアの井戸、「文久元年 魯寇之跡」(露寇の碑)がありますが、漂着ゴミが多く、雰囲気が悪いのが残念。

大東亜守備の地の石碑
芋崎砲台からの帰り道、なにやら山頂に続く山道を発見。登ってみると石碑があり「大東亜戦守備之地 豊島部隊 昭和十七年秋」の文字が・・・。
芋崎には、昭和16年から17年にかけて高射砲座が設置されており、のちに長崎の金比羅山に移転。そこで原爆に遭い、多くの隊員が命を落としましたが、彼らが対馬を去る際に設置していった石碑のようです。

大平砲台
さて、芋崎の次は大平砲台(低砲台)へ。
大平砲台は、道路工事により一部が破壊されており、しかも弾薬庫に漁具?などが詰め込まれていました。
車で行くことができるのですが、これといって魅力はなく・・・(-_-;)

大平砲台の扁額
ちなみに、建設責任者は芋崎と同じ工兵中尉・時尾善三郎氏で、工期もほぼ同じです。

大平砲台(高)
大平には明治期の高砲台もあるのですが、今回は調査不足のため砲座のみ確認。次回に持ち越しです。

バカボンのパパ?
歩き回った挙句、またまた外見などどうでもよくなり、バカボンのパパのような状態になっている砲台担当Sです。
知り合いに見つかったら、まちがいなく「お前、何やってんだ?」と言われそうなシチュエーションですが・・・。

その後、竹敷・深浦・面天奈など怪しげな場所を歩き回り、調査は終了しました。
年度内に、対馬要塞ガイドブックを作成する予定ですので、お楽しみに。
(完成してもないのに既に予約が5件もあり、Sが焦っています)


【交通アクセス】

厳原港→(国道382号線を北上9.3km)→十八銀行美津島支店前交差点(西に進んで県道24号線を1.5km)→箕形・竹敷交差点を右折(県道197号線に入り、5.7km)→芋崎砲台軍道入口(看板あり、徒歩1.3km)→芋崎砲台
※芋崎砲台軍道入口から道なりに0.9km車で進むと大平(低)砲台
※対馬空港から十八銀行美津島支店前交差点までは、県道64号線を南下1km、右折して国道382号線に進み南下2km

Googleマップ
>>芋崎砲台・大平(低)砲台

ガイドのご用命は
>>対馬観光ガイドの会やんこも
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中対馬ガイド養成「大船越〜姫神山砲台〜万関」編
こんにちは、観光担当Nです。
眠い眼をこすりながら、プサンからその2です(殴)

2011年10月8日(土)、中対馬地区ガイド養成事業の現地研修会を行いました。
今回のテーマは、対馬を中心とした幕末から明治にかけての日露関係で、美津島町の大船越(おおふなこし)・姫神山(ひめがみやま)砲台・万関橋(まんぜきばし)などを歩きました。

大船越
大船越は、江戸時代、対馬藩三代藩主・宗 義真(そう よしざね)によって掘り切られた人工の瀬戸です。
対馬は南北82キロの長大な島で、船で迂回するのがたいへんでしたが、開削により交通の利便性が劇的に向上しました。

勉強会の様子
ところが幕末の1861年(ちょうど150年前)、対馬の一部(美津島町昼ヶ浦の芋崎)がロシアの軍艦に占拠され、ここ大船越の関所で2名の死傷者が出るという事件が起きました(ポサドニック号事件)。
幕府は独力でロシアに対抗できず、イギリス軍艦の力を借りてロシア軍艦を追い出しましたが、幕府の無力さを露呈する結果となりました。

姫神山砲台
支障木の伐採などの整備が進む姫神山砲台です。
ロシアの南下政策に対抗するため、明治政府は対馬に海軍基地をつくり、18基もの砲台を建設しました。昭和期の砲台もあわせると合計31基にもなり、臨時砲台を加えるとその数はさらに膨らみます。対馬はまさに要塞島だったのです。

姫神山砲台・砲座
日露戦争時の代表的な砲台「28センチ榴弾砲」が6門設置されていました。

黒島を望む
黒島を望みます。砲台は基本的に高所にあるため、展望のよさも魅力のひとつです。

万関展望所
姫神山砲台を後にした一行は、同じく支障木が伐採された万関展望所へ。
大船越では軍艦の通行が困難だったため、明治の海軍が掘り切った人工の瀬戸が万関瀬戸(久須保水道)。日露戦争の日本海海戦では、この万関瀬戸を通って水雷艇・駆逐艦が出撃し、大きな戦果を挙げました。
現在、万関瀬戸の上には赤い鉄橋がかかり、観光名所になっています。

こうして、幕末から明治にかけての対馬の歴史の現地勉強会が終了したのでした。
参加されたみなさま、お疲れ様でした。
記事カテゴリ: 対馬砲台群を歩く
対馬砲台群を歩く  「大崎山(おおさきやま)砲台編」
こんにちは、観光担当Nです。

前々回の「姫神山砲台」、前回の「上見坂堡塁」にひきつづき、またまた対馬要塞ネタです。

対馬には明治〜昭和期にかけて31もの砲台が築かれ、現在、観光資源としての調査を行っていますが、時には残念な結果に終わることもあります。
今回はそのパターンのご報告です(-_-;)

姫神山砲台、上見坂堡塁を歩いてウォーキングハイになった要塞部員2名は、勢いあまって事前に計画していなかった大崎山砲台へ向かいました。

尾浦海水浴場・係船場
ここは尾浦海水浴場に近く、夏の海開きの際に石造りの壁と係船場を見かけ、ちょっと気になっていたのです。

尾浦海水浴場・軍道
船着場から延びる軍道でしょうか。
前回(7月)、職員2名と対馬市広報関係者をだまして(殴)接近してみましたが、低木・ヤブで進めず、断念。
今回は、久田隧道(トンネル)の南側出口から数メートル先を左折し、大崎山砲台へ。

タオル頭
疲れて外見もどうでもよくなり、タオルを被っている要塞部員Sです。

大崎山砲台1
途中までは車で行けますが、不法投棄された粗大ごみが目につき、軍道の雰囲気もなんだか不気味で、徐々にテンションダウン・・・。

大崎山砲台・門柱
門柱です。釣人がいるのか、釣り餌の袋やペットボトルなどが落ちていました。


明治の砲台は、石・レンガなどで建造され、重厚な雰囲気がよいのですが、昭和の砲台はコンクリート製で造りが粗雑な印象です。


もう引き返そうかと話していると、石製の階段が現れました。


砲座跡。水が溜まっています。

砲座跡
観測所もぐちゃぐちゃでした。
戦後GHQの爆破班により解体されてしまったようです。

高平橋

「これは観光では使えないね・・・100点満点で、12点くらい」
要塞部員Sの妥当な評価でした。


ぜんぜんお勧めしませんが、場所はここ。
Googleマップ
>>大崎山砲台

記事カテゴリ: 対馬砲台群を歩く
対馬砲台群を歩く  「上見坂堡塁(かみざかほうるい)編」
こんにちは、対馬探検隊 要塞部員その1こと観光担当Nです。

ブログを移行したら記事下に「ツイートする」「いいね!」のボタンが現れましたが、要塞ネタで誰が押すのか不安に思いつつ、前回の砲台調査の続編をお届けします。

上見坂公園2
姫神山の撮影を終えた我々は、そのまま厳原町の上見坂(かみざか)公園へ。

上見坂公園1
ここは浅茅湾を一望できる展望所として人気がありますが、その裏側を徒歩数分・・・。

上見坂公園遊歩道
日露戦争前に建造された上見坂堡塁(ほうるい)が出現!
熱心に写真を撮っている(自己撮りも多いけど)のは、要塞部員その2ことSです。

兵舎跡
かなり広い兵舎跡。通常は弾薬庫などとして利用しますが、臨戦時には兵隊が寝泊りする場所にもなります。
居住環境としてはかなりイマイチな感じですが(-_-;)

便所跡
便所にたたずむS。左側が小、右側が大らしいです。

塹壕の一部
砲台周辺の塹壕(ざんごう)の一部です。

砲座跡
砲座跡です。頑丈な基礎に据え付ける重砲(榴弾砲など)とは異なり、カノン砲には車輪がついており、写真の斜面を押し上げて移動できます。
砲台は、海岸付近に現れた艦船などを攻撃するものですが、堡塁は、主に上陸してきた敵から背部の砲台や居住地を守るための防御型の砲台を指します。

上見坂公園
上見坂堡塁は上見坂公園内にあるため、車で行くことができ、駐車場・トイレなども完備されています。
砲台初心者の方は最初に訪問してみましょう。

移動はタクシーかレンタカーで、厳原港〜上見坂公園は片道約10キロ、対馬空港〜上見坂公園は片道約9キロ。
舗装はされていますが、カーブが多いので、安全運転を。
公園からは九州百名山・白嶽、浅茅湾、対馬空港の滑走路などのほか、ツシマジカもよく見かけます。

Googleマップ
>>上見坂堡塁
記事カテゴリ: 対馬砲台群を歩く
対馬砲台群を歩く  「姫神山(ひめがみやま)砲台編」
 こんにちは、対馬探検隊 要塞部(勝手に設立)部員その1こと観光担当Nです。

 当協会では、3年前から毎年テーマを決めて対馬の観光資源調査を行っています。平成20年度はバードウォッチング、21年度はトレッキング、22年度は神社、23年度は対馬要塞ですが、今回は今年度の重点項目である対馬要塞の調査のため、姫神山砲台・上見坂堡塁・大崎山砲台を歩いてみました。
  「姫神山砲台」は、現在の対馬市美津島町緒方の姫神山山頂に位置し、対馬海峡東海岸に出没する敵の艦船を攻撃するため、28センチ榴弾砲が6門も装備された規模の大きな砲台です。


 緒方の集落に入り、正面の川沿いに右に進みます。四輪駆動の小型車なら砲台まで行けますが、脱輪や万一の対向車に気をつける必要があり、通常は緒方の集落で下車して歩きます。砲台までは徒歩で片道40分。


 砲台への道はこんな感じです。明治時代に、馬車を通すために統一の規格(幅・傾斜)で整備されており、現在では格好の登山道となっています。


 対馬東海岸・三浦湾の景観を楽しみながら・・・。


 砲台直前の広場です。左は砲台の門、右に弾薬庫が見えています。


 姫神山砲台の弾薬庫です。明治33〜34年(1900〜1901年)にかけて建造され、レンガと砂岩、セメントで構成されています。


 大きさはこれぐらい。


 濾過式の井戸です。砲台は山頂近くにあることが多いため、水の確保は重要課題でした。
 現在も水を湛えていますが、100年以上経過していて強度が不明なので、上には乗らないようにしましょう。


 新たに設置された砲弾(実弾)と案内板です。砲弾の重量は200キロ以上、射程は約8キロ。対馬の神社では、奉納された砲弾をよく見かけます。


 6門の砲座が直線状にならび、かなりの広さです。


 砲座跡。日露戦争時に主力兵器だった28センチ榴弾砲(りゅうだんほう)が据え付けられていました。榴弾砲は、重量砲弾をやや斜め上方に打ち上げ、弧を描いて落下させ、戦艦の甲板(装甲が薄い)を貫通・破壊する曲射タイプの砲台です。ほかには、水平に撃ち出す加農(カノン)砲というタイプの砲台もあります。


 観測所へ続く階段です。「天空の城ラピュタ」のロボット兵が降りてきそうな雰囲気でした。


 観測所です。砲座からは敵艦が見えないため、ここで観測し、方角・傾斜などの指示を出します。


砲台というと暗いイメージがありますが、姫神山砲台はかなり奥行きがあり、開放的な雰囲気です。


 12月にはNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第3部(最終部)が放送されます。クライマックスは、28センチ榴弾砲が活躍した旅順などの要塞攻略戦と、対馬沖が舞台となった日本海海戦です。明治という時代の息吹を、映像でお楽しみください。


 砲台からの帰り、道端にムジナノカミソリが咲いていました。ヒガンバナ科キツネノカミソリの仲間で、「野生絶滅種」とされていますが、対馬ではよく見かけます。そのうち環境省の絶滅指定が変わるか、別種扱いになるかもしれません。

【交通アクセス】
厳原港→(国道382号線16km)→緒方入口→(市道2km)→緒方(下車)→(徒歩2.5km・約40分)→姫神山砲台
(対馬空港→緒方入口は国道382号線を約6km)

Googleマップ
>>厳原港〜美津島町緒方

姫神山トレッキングルート


バスは緒方入口まで1日7便のみなので、自家用車・レンタカー・タクシーが便利です。
迷うことはあまりないと思いますが、軽いトレッキングになるので装備・飲料水などの準備はしっかりと。

ガイドのご用命は、「対馬観光ガイドの会やんこも」まで。
対馬観光物産協会(対馬市役所1F)か対馬空港で合流し、現地を徒歩で2時間程度ガイドいたします。
ガイド料はガイド1名(4時間以内コース)12,000円です。

対馬観光ガイドの会やんこも
>>http://tsushima-net.org/yankomo/yankomo.php

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「対馬砲台群 〜郷山砲台ウォーク〜」について
 こんにちは、雨男・観光担当Nです。
 昨日、2011年5月28日(土)、雨で1週延期になっていた「対馬砲台群〜郷山砲台ウォーク〜」を開催しました。
 春のイベントはことごとく雨に降られており、前日まで天気予報とにらめっこしていましたが、なんとか終日雨も降ることなく、無事終了しました。
 翌日日曜は雨・・・あぶないところでした(-_-;)

 尾崎半島の砲台については、こちらをご覧ください。
 >>対馬要塞を歩く〜美津島町・尾崎半島編〜

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 ガイドは「対馬観光ガイドの会やんこも」副会長で砲台の専門家・小松津代志さんです。ダジャレまじりの解説に、参加者から笑い声があがっていました。

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 バイカウツギでしょうか? 各地でヤマボウシが咲いていますが、残念ながら郷山では見ることができませんでした。

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 連日の雨で、足元のぬかるみが心配でしたが、水はけがよく、歩きやすい状態でした。

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 先週の時点では40名以上の参加申込みがありましたが、延期と微妙な天候のため、今回の参加者は20名(うち小学生3名)+ガイド1名+スタッフ2名の計23名でした。

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 片道約3キロ、幅3mほどの緩傾斜の道で、子どもたちも元気に歩いていましたが、あいにくの濃霧で景観はイマイチ。

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 兵舎にコウモリがいて、子どもたちが大騒ぎ(^^;)
 夏場の砲台ではよく見かけますが、冬はより暖かい低地に移動するのか、姿を消してしまいます。

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 砲座跡です。日露戦争時に活躍した28センチ榴弾砲(りゅうだんほう)が据え付けられ、国境の海を睨んでいました。

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 「成兵精鋭三塁成」の記念碑前で記念撮影です。天気がよければ砲台跡でお弁当の予定でしたが、今回は早めに降りて、尾崎の公園でランチタイムにしました。
 参加者の皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました。
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「陸防」マニアと郷山砲台ウォーク
 みなさま、こんにちは。観光担当Nです。
 最近、ごく狭いエリア(3人ぐらい)で、「陸防」が熱いです。
(興味のない方は無視してくださいね(^^;))

 対馬は古代から国境の島ですが、幕末から明治時代は特にロシアなど列強の圧力を受け、明治〜昭和期にかけて全島が要塞化され、国防の最前線となりました。
 その時代の遺構として、31ヶ所もの砲台跡や、万関瀬戸(久須保水道)、水雷艇基地跡などが残されているのですが、その息吹をもっとも身近に感じられるのが、対馬のいたるところにある「陸軍境界標石」、通称「陸防」です。

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これが「陸防」。軍用地の境界を示す石標で、軍事施設跡・要塞地帯などで見ることができるのですが、開発や道路拡張で全国的に姿を消しています。
片面は「陸」。

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裏は「防○○○(漢数字)」
最近、山歩きに行くたびに注意して見ているのですが、対馬にはおびただしい数の「陸防」が残されているようです。

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明治の「陸防」は石造りで、手彫り感が味わい深いです。

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かなり埋まってたり。

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横倒しになってたり。

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彫った人がB型だったのか、「防」の字を彫り忘れてたり(殴)

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完全に埋没してたのにマニアの手で掘り起こされてしまったり。

DSC00394(加志・陸防)_small.jpg
県道のガードレール下でコンクリートの一部になってたり。

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昭和の「陸防」はセメント製。見つけた時の喜びは明治期のものと比べると今ひとつ・・・。

これが見つけ始めると止まらない「陸防」の魅力です。
観光に役立つのか? 日常生活で役に立つのか? と聞かれれば、何とも言えないのですが・・・(-_-;)

ちなみに5月21日(土)に開催する「対馬砲台群 〜郷山砲台ウォーク〜」(美津島町尾崎地区)は定員を軽く超える応募がありました。
尾崎地区は、山県有朋をして「対馬ハ我西門ニシテ、最要衝ノ地」と言わしめた対馬のなかでも特に重要視され、明治期に3つ、昭和期に1つの砲台が築かれています。
「郷山砲台ウォーク」では、事故・怪我がないことを第一に考え、参加者の皆様に「陸防」の魅力を伝えられたら幸いです(目的が違うって・・・)

<観光担当N>
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