(一社)対馬観光物産協会ブログ

対馬の観光物産情報をお伝えします。
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講演会「『交隣提醒』に託した雨森芳洲の思い」(5/10)につきまして
 こんにちは、昼から城山(じょうやま)の案内をする予定の局長Nです。

 昨日まで晴れだった予報が、なんだか怪しい空模様になってきました。

 職場で「雨の神だ・・・」と恐れられていますが、降りませんよっ!(-_-;)



 さて、今週末、5月10日(土)に開催される講演会のお知らせです。

 江戸時代に対朝鮮外交で活躍した対馬藩の儒学者「雨森芳洲」(あめのもり ほうしゅう)について、宗家文書研究の第一人者、田代 和生(たしろ かずい)先生の話をお聞きできる絶好の機会です。

 対馬歴史民俗資料館の学芸員・山口 華代さんのお話も聞けます。

(昨年度の対馬学講座の時も、わかりやすい説明で好評でした)



田代和生先生講演会 『交隣提醒』に託した雨森芳洲の思い

日時  平成26年5月10日(土)
会場  対馬市交流センター 3階 大会議室
講師  慶應義塾大学名誉教授 田代和生 先生
対象  特に制限はありません。先着200名様までです。
参加費  無料
申込  事前申込は不要です。当日会場までお越しください。
関連企画  平成26年4月26日(土)から6月1日まで、本館展示室において、雨森芳洲関連資料の展示を行います。


プログラム

13時00分から 開場
13時30分から13時35分 開会の辞・講師紹介
13時35分から13時55分 
「対馬における雨森芳洲の事跡」
山口 華代(対馬歴史民俗資料館主任学芸員)

14時00分から15時00分 講演
「『交隣提醒』に託した雨森芳洲の思い」
田代和生(慶應義塾大学名誉教授)
15時00分から15時10分 質疑応答
15時10分から15時15分 謝辞・閉会の辞


講演者プロフィール

田代 和生(たしろ かずい)
 
 慶應義塾大学名誉教授。専門は近世日朝交易史・近世日朝関係史。
 1968年対馬宗家の古文書調査のため来島して以来、対馬宗家文書をもとに研究を進め、
 とくに対馬藩による朝鮮貿易の実態解明に寄与。
 2011年6月に紫綬褒章を受章。
 《著作・出演番組》
 『書き替えられた国書』(中央公論社)
 『新・倭館 鎖国時代の日本人町』(ゆまに書房)
 NHK『その時歴史が動いた』「対馬藩・決死の国書すり替え 朝鮮通信使秘話」など

 >>長崎県ホームページ


城山
 写真がないとさびしいので・・・、4/18にご案内した厳原(いづはら)中学校の城山トレッキングの様子です。

記事カテゴリ: 対馬の歴史
「国境の島 歴史秘話・対馬学」について(途中報告)
こんにちは、秋の虫の音がすごい真夜中の焼松(やけまつ)から局長Nです。

しょっぱなから地名ローカルネタですみません(-_-;)

さて、当協会ブログ史上最高の「いいね!」を獲得した「国境の島 歴史秘話・対馬学」講座ですが、現在講座2回目が終了し、本日3回目を迎えます。
途中経過報告です〜。

2013.08.12 Monday
「国境の島 歴史秘話・対馬学」について


講座の様子(第1回)
平成25年8月28日(水) 第1回 「歴史秘話・対馬学講座と対馬の歴史の概要について」
案内 対馬観光物産協会 局長N

受講生の皆様
お申込み者数88名、出席者数76名。
この手の講座でこの人数は珍しく、講師のみなさんも我々スタッフもびっくりでした。
ありがとうございます!

講座の様子(第2回)
9月4日(水) 第2回 「秀吉から家康へ、戦乱と平和の200年」
秘話 「激動する日朝関係。対馬史上、最大の外交スキャンダルとは?!」
講師 長崎県立対馬歴史民俗資料館 山口 華代 氏

出席者数73名。
対馬歴史民俗資料館の山口華代さんに、戦国末期から江戸初期にかけての激動の時代を解説していただきました。
対馬の豪族「阿比留」(あびる)氏と、鎌倉時代から幕末まで対馬を統治した宗(そう)氏のお話などもあり、皆さん興味しんしん。


9月11日(水) 第3回 「大和朝廷の国づくりと対馬の古墳」
秘話 「壱岐の古墳は丸いのに、対馬の古墳はなぜ四角?」
講師 対馬市教育委員会文化財課 尾上 博一 氏

いよいよ本日です。
事前に講座資料(パワーポイント)を見せていただきましたが、かなり密度が高く、面白いです。


【島内研修】
9月15日(日) まち歩き歴史観光ガイド体験
主に第2回の講座で描き出された激動の時代を、「対馬観光ガイドの会やんこも」の藤井敦子さん(ガイド名・敦姫)のガイドにより体験します。


9月18日(水) 第4回 「古代山城・金田城と防人(さきもり)」
秘話 「国境守備兵・防人の詩が、涙なしには読めない理由」
講師 対馬市教育委員会文化財課 田中 淳也 氏

9月25日(水) 第5回 「元寇と倭寇、海の狼たちの攻防」
秘話 「佐須浦の激闘! 高麗王朝を滅ぼした倭寇の正体とは?」
講師 対馬市教育委員会文化財課 村瀬 達郎 氏

10月2日(水) 第6回 「長崎歴史文化博物館 特別展『対馬藩と朝鮮通信使』」
秘話 「長崎市で開催される対馬の特別展について」
講師 長崎歴史文化博物館主任研究員 深瀬 公一郎 氏(予定)

10月9日(水) 第7回 「日露戦争と対馬の運命について」
秘話 「大国ロシアとの決戦。その時、対馬では何が起こっていたのか?」
講師 対馬観光ガイドの会やんこも 小松 津代志 氏
※第7回のみ、会場を第3会議室に変更する予定です。

【島外研修】
11月2日(土)〜11月3日(日) 「長崎歴史文化博物館 特別展『対馬藩と朝鮮通信使』」
長崎歴史文化博物館で開催される特別展を見学する島外研修(一部旅費補助を予定)を実施します。


【対馬歴史検定】
平成26年1月12日(日) 講座と研修内容をもとに、対馬歴史検定を実施します。
記事カテゴリ: 対馬の歴史
「旅する長崎学」(島外での対馬の歴史講座)について
 こんにちは、お盆は事務所で過ごす予定の局長Nです(季節感ないっ)。

 先日のブログで告知をいたしました「歴史講座『国境の島 歴史秘話・対馬学』」ですが、現在17名様のお申込みをいただいております。
 ありがとうございます!

 締め切りは8月23日(金)です。
 本日、島内の学校や宿泊施設などにも郵送・お声がけをします<(_ _)>


 さて、長崎県は歴史による観光振興に力をいれており、今年度は京都・東京・福岡でも対馬の歴史に触れる講座を開催していますので、お知らせします。


「旅する長崎学講座」

【京都】
7/28 (終了しました) 以下、読売新聞記事より抜粋。

「県が、対馬と朝鮮通信使の歴史・文化を全国に紹介し、観光客増加につなげようとしている。7月28日には、京都市の京都文化博物館で「日韓交流の懸(か)け橋・対馬〜朝鮮通信使から学ぶもの〜」をテーマに「旅する長崎学講座」を開催。今後、福岡、東京でも同様の講座を開く予定で、県の担当者は「対馬の果たした役割は歴史的に重要で、その魅力を多くの人に知ってほしい」と期待している。(島居義人)」
 >>対馬の歴史・文化全国に発信 県、観光客増加目指す(2013年8月11日 読売新聞)

【東京】
日 時 平成25年8月21日(水)
時 間 17:00〜19:30(150分)
場 所 江戸東京博物館 1階ホール(定員:400人)
参加料 無料(要事前申込)
お申込 電話又はメールにて受付。定員になり次第締め切ります。
電 話 095-895-2762(長崎県文化振興課)
メール info@tabinaga.jp
パネル展示:11:00〜19:30
 >>詳細(PDFファイル)

 東京(8/21(水))では、対馬に伝承される珍しい女性の神楽「命婦の舞」(みょうぶのまい)が披露されます。島外ではまず見ることはできない貴重な体験になります。

【福岡】
日 時 平成25年9月14日(土)
時 間 14:00〜16:30(150分)
場 所 レソラNTT夢天神ホール(定員:200人)
参加料 無料(要事前申込)
お申込 電話又はメールにて受付。定員になり次第締め切ります。
電 話 095-895-2762(長崎県文化振興課)
メール info@tabinaga.jp
パネル展示 11:00〜16:30
 >>詳細(PDFファイル)

 福岡(9/14(土))では、作曲家 藤家溪子さんが作曲した「海津乙女(あまつおとめ)の・・・」を、山下 愛陽 氏(うた、ギター)と、長崎出身の世界的ギタリスト・山下 和仁 氏(ギター)(Wikipedia)の演奏で楽しんでいただきます。
 この曲は、対馬の豊玉姫伝説にちなみ、ながさき音楽祭2012の中で対馬市において世界初演されたものです。

百雁木
 (対馬藩主・宗(そう)家の菩提寺・万松院(ばんしょういん))


 さらに!
 長崎歴史文化博物館では、「重要文化財指定特別企画展 対馬藩と朝鮮通信使」が開催されます!

「重要文化財指定特別企画展 対馬藩と朝鮮通信使」

長崎歴博

長崎歴史文化博物館
平成25年10月26日(土)〜12月15日(日)

《 重要文化財指定記念特別展・対馬藩と朝鮮通信使〜12万点の宗家文庫が語る歴史の真実〜 》
江戸幕府の重要な役割を担い、対馬・長崎・江戸・朝鮮釜山を股にかけ活躍した対馬藩の実像に迫ります。
 >>公式サイト
記事カテゴリ: 対馬の歴史
「国境の島 歴史秘話・対馬学」について
 こんにちは、先週末、2013/8/8(木)〜8/9(金)に開催された「壱岐対馬プレスツアー」(主催:長崎県東京事務所・大阪事務所)の観光プレゼンテーションの後半、スタッフの「やめとけ!やめとけ!」の視線を無視して、「対馬要塞」編を強行した局長Nです。

 ※プレスツアーとは、新聞・雑誌などのメディア対象のモニターツアーのことです。

 結果 → 一部のライターさんは食いつき、他のライターさんはドン引き(-_-;)


 さて、国境の島・対馬は、面積の89%を森林に覆われた自然豊かな島ですが、魏志倭人伝や古事記などにも登場する悠久の歴史を誇る島でもあります。
 日本本土と朝鮮半島・大陸との重要な中継地であった対馬が存在しなければ、日本の歴史は今とはまったく異なっていた可能性が高いのです。

 ただ、「歴史」というと難しいイメージがあり、敬遠してしまうのも事実。

・対馬に住んでいるけど、対馬のことをよく知らない・・・。
・島外の友達が遊びに来たときに案内して、「対馬っておもしろい!」と言われてみたい・・・。

 そんなあなたに、
 対馬の悠久の歴史を、わかりやすく、楽しく学ぶ講座を開催いたします!

 お知り合いにお声がけの上、お気軽にご参加ください<(_ _)>

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歴史講座
「国境の島 歴史秘話・対馬学」

キャッチフレーズは「やすからん面白さでござる!」


開 催 日: 平成25年8月28日(水)〜10月9日(水)の期間の毎週水曜日
開催場所: 対馬市交流センター3F(対馬市厳原町今屋敷661−3)
開催時間: 19:30〜21:00
受 講 料: 無料。ただし、テキストとして、「旅する長崎学12 対馬 朝鮮外交への道」(長崎文献社)600円をご購入いただきます。
締  切: 平成25年8月23日(金)
主  催: 対馬観光物産協会

※ 初回8/28(水)に講座全体の説明をいたします。
※ テキストは各自購入していただきますが、初回に600円を準備していただければ、一括で注文します。
※ 全7回すべてに出席する必要はなく、途中参加も可能ですが、資料の準備等のため、事前にお申込みをお願いします。


平成25年8月28日(水) 第1回 「歴史秘話・対馬学講座と対馬の歴史の概要について」
今後の講座の説明と、古代から近代までの対馬の歴史の概要をスライドでご説明します。
案内 対馬観光物産協会 西 護

9月4日(水) 第2回 「秀吉から家康へ、戦乱と平和の200年」
秘話 「激動する日朝関係。対馬史上、最大の外交スキャンダルとは?!」
講師 長崎県立対馬歴史民俗資料館 山口 華代 氏

9月11日(水) 第3回 「大和朝廷の国づくりと対馬の古墳」
秘話 「壱岐の古墳は丸いのに、対馬の古墳はなぜ四角?」
講師 対馬市教育委員会文化財課 尾上 博一 氏

9月18日(水) 第4回 「古代山城・金田城と防人(さきもり)」
秘話 「国境守備兵・防人の詩が、涙なしには読めない理由」
講師 対馬市教育委員会文化財課 田中 淳也 氏

9月25日(水) 第5回 「元寇と倭寇、海の狼たちの攻防」
秘話 「佐須浦の激闘! 高麗王朝を滅ぼした倭寇の正体とは?」
講師 対馬市教育委員会文化財課 村瀬 達郎 氏

10月2日(水) 第6回 「長崎歴史文化博物館 特別展『対馬藩と朝鮮通信使』」
秘話 「長崎市で開催される対馬の特別展について」
講師 長崎歴史文化博物館主任研究員 深瀬 公一郎 氏(予定)

10月9日(水) 第7回 「日露戦争と対馬の運命について」
秘話 「大国ロシアとの決戦。その時、対馬では何が起こっていたのか?」
講師 対馬観光ガイドの会やんこも 小松 津代志 氏
※第7回のみ、会場を第3会議室に変更する予定です。

島内研修・島外研修
9月15日(日) 「歴史観光現地巡検バスツアー」
バスによる島内の歴史観光地めぐりを実施します。

11月2日(土)〜11月3日(日) 「長崎歴史文化博物館 特別展『対馬藩と朝鮮通信使』」
長崎歴史文化博物館で開催される特別展を見学する島外研修(一部旅費補助を予定)を実施します。


対馬歴史検定
平成26年1月12日(日) 講座と研修内容をもとに、対馬歴史検定を実施します。


〜対馬観光物産協会より〜

 古来より海上交通の要衝であった対馬は、魏志倭人伝などの大陸の文献および古事記や日本書紀、万葉集など我が国の古典にも登場する悠久の歴史を誇る島であり、元寇や倭寇、朝鮮出兵と朝鮮通信使、幕末から日露戦争にいたるまで、日本という国家がどのように成立し、外国とどう関わってきたかという交流と緊張の歴史が刻まれています。
 しかし、対馬の歴史はその奥深さゆえに観光客にはわかりにくい面があり、観光客の満足度を高めるには、対馬の歴史をわかりやすく楽しく案内できる環境づくりと、専門ガイド・市民ガイドの養成が急務となっています。
 数年後には対馬市にも博物館が開館する予定であり、「国境の島に刻まれた悠久の歴史」という素晴らしい観光資源を地域振興の起爆剤として活用し、市民全体で対馬を盛り上げていきたいと考えています。

万松院
(江戸時代、朝鮮国王から対馬藩に贈られた仏具「三具足」(みつぐそく)。対馬市厳原町・万松院 蔵)

金田城
(7世紀に築かれたとされる古代山城・金田城跡(かなたのき)。国指定特別史跡。対馬市美津島町黒瀬)

姫神山砲台
(明治時代の対馬砲台群で最大規模の姫神山(ひめがみやま)砲台。対馬市美津島町緒方)
記事カテゴリ: 対馬の歴史
アナザーストーリー「小船越」(こふなこし) 〜日本最初の寺と太陽神の集落〜
 こんにちは、局長Nが趣味と妄想とストレス解消でお届けする(殴)、対馬歴史異聞伝(いぶんでん)「アナザーストーリー『小船越編』」です。

 これをやると確実に睡眠時間がなくなるので、ストレス解消になってるのかさっぱりわかりませんが(-_-;)


小船越
 さて、対馬の中央に広がる浅茅湾の東岸に、古代から江戸時代まで港町として栄えた「小船越」(こふなこし)という集落があります。

 >>対馬観光マップ・小船越 西漕手(にしのこいで)/アマテル神社/梅林寺(Googleマップ)


 対馬は、泣く子も黙る荒海・玄界灘(げんかいなだ)と、異国に接する恐ろしい朝鮮海峡(対馬海峡西水道)に挟まれており、対馬の波穏やかな内海・浅茅湾は、まさに海上のオアシスと呼べる天然の良港でした。

西漕手
 小船越には、いにしえの雰囲気をそのまま残す西漕手(にしのこいで)という古代の港跡があります。

 ここは、浅茅湾と対馬海峡が接する陸峡部であり、古代より日本本土と朝鮮半島・中国大陸を往来する海上交通の要衝でした。


 日本本土からやってきた船はまず鴨居瀬(かもいせ)に着き、岸沿いに小船越へ。

 小船越に着くと、小さな船は陸揚げして対岸へ運ばれ、大きな船は人と荷物だけを対岸の別の船に載せて、朝鮮半島・大陸を目指しました。
 小さな船が丘を越えていったので、「小船越」という地名になった、とされています。
 もちろん、半島・大陸から戻ってくる船は、逆の行程を辿るわけです。

住吉神社
 当時の航海は命がけであり、対馬に残る無数の海神系の神社は、海上の安全祈願のために祭られたと考えられています。

 >>対馬観光マップ・住吉神社(すみよしじんじゃ)(Googleマップ)

 対馬周辺の外洋は、神頼みをしなければ渡れないほど危険に満ちていたのです。



 さて、日本最初のお寺の話。

梅林寺
 小船越には、日本最初の寺とされる「梅林寺」(ばいりんじ)があります。

 日本への公式な仏教伝来は、538年(または552年)、百済の聖明王から仏像や経典が送られたのが始まりとされています。

梅林寺(説明板)

 仏像を捧持する使節は、小船越で上陸し、ここから日本本土を目指すために風待ち・波待ちをする必要がありました。

 その間、大切な仏像を粗末に扱うわけにはいかないので、小さなお堂を建てて仏像を保管し、その小堂が日本最初の寺・梅林寺になった、と伝えられているのです。


 海を渡った仏像は、在来の神道を信仰する物部氏によって難波の堀江に打ち捨てられますが、聖徳太子の時代に再出現し、やがて本田善光という人物の背中に乗って旅をし、現在の長野県(現在の善光寺)に落ち着きます。

 善光寺は、激動の戦国時代には、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの錚々たる面々に信仰され、現在では年間600万人もの参詣者を集める名刹となりました。

 面白いことに、善光寺の仏像は自ら絶対秘仏となり、その姿を見たものはいません。

 7年に1度、前立観音という、いわばレプリカがご開帳されますが、本尊そのものが実在するのかどうかすら、秘仏ゆえに誰にも確認はできないのです。

 日本に渡来し、この国を仏教国家へと導き、戦国武将や天下人たちに信仰され、この国の歴史を変えたともいえる絶対秘仏の旅。


 その最初の日本上陸地が対馬であり、小船越だったのです!




 ・・・嘘だとおもったら、善光寺のホームページを見てみるがいいさ!(殴)

 >>善光寺公式サイト






 さて、もういい加減文章が長いので「つづく」でもいいのですが・・・。

アマテル神社1
 古代航路の要衝であった小船越には、「アマテル神社」があります。

 ※「阿麻○留神社」 ○=氏の下に一。


アマテル神社2

 天皇家の祖神である「アマテラス大神」にもよく似た響きで、しかも祭神は「天日神命(あめのひみたまのみこと)」という太陽神なのです。

 ちなみにお隣の壱岐には、月神である「月読(ツクヨミ、ツキヨミ)」が祭られており、第23代顕宗天皇の時代(5世紀後半)に、 それぞれの対馬と壱岐の祭祀集団ごと京都・奈良に上京しています。

 暴風神スサノオが出雲、太陽神アマテルが対馬、月神ツクヨミが壱岐の出身だとすると、日本神話のアナザーストーリーが見えてくるのですが、もう眠いので、続く!(殴)

 あー、対馬の神社ガイドブック、作りたい!(>_<)

 絶対!めちゃくちゃ面白いのに!!(殴)


 >>対馬観光モデルコース歴史編「(2)神代の旅〜竜宮伝説・和多都美神社〜」
記事カテゴリ: 対馬の歴史
幕末、小栗上野介と対馬の運命について
 こんにちは、子どもが寝静まった深夜をブログの更新にあてていましたが、寒さのあまり一緒に寝てしまうことが多くなった局長Nです(-_-;)

 さて、小栗 上野介 忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ)をご存知でしょうか?

 (知らねえよ!とか、 下の2つのどっちが名前なんだ! とか言われそうですが(-_-;))


 子どものころ、星新一さんの「はんぱもの維新」(「城の中の人」所収)を読んで、「あっ!対馬が出てる!」と思い、さらに司馬遼太郎氏が「明治の父」とまで称えたということで、ずっと気になっていた人なのですが、先日の講演会(2/11)でようやくその実像がつかめました。

 すごいぞっ! 小栗 上野介 忠順!(長っ!)


小栗上野介講演会
 ちなみに、講師は、小栗家とゆかりの深い群馬県「東善寺」の住職 村上 泰賢さん。
 講演会の概要と、対馬との関わりについては、先日の記事をご覧ください。

 >>講演会「幕末、対馬と日本の運命」の開催について(対馬観光物産協会ブログ)


小栗上野介関係
 村上さんに、「はんぱもの維新」をプレゼントしたところ、著書をいただきました。
 ありがとうございます!


 さて、小栗上野介がどういう人物で、何をしたのかと言いますと・・・

・幕末、日米修好通商条約批准のため、遣米使節の三使のうちの一人(目付・監察)としてアメリカに派遣される。
その際、日本→アメリカ(太平洋)、アメリカ→日本(大西洋→太平洋)を航海し、日本人初の世界一周を達成
(勝海舟と福沢諭吉は、遣米使節の護衛を名目とする咸臨丸に乗船し、日本〜アメリカ間を往復)

・帰国後、当時寒村であった「横須賀村」に「製鉄所」(日本初の蒸気機関を動力とする本格的な総合工場)を建設
→やがて造船所、軍港として一大都市に成長。
 日本の産業革命は、横須賀、そして小栗から始まったといっても過言ではないのです。

・幕府の軍隊の近代化(フランス式)。

日本初の株式会社組織「兵庫商社」の設立。(坂本竜馬の「海援隊」より先)

・そのほか、鉄鉱山の開発や、「築地ホテル」(日本初のホテル会社)建設など、訪米で得た知見と経験をもとに、先進的な取り組みを次々に実施。


【小栗上野介の功績をたたえる言葉】

「明治の父」 (司馬 遼太郎)

「明治の近代化はほとんど小栗上野介の構想の模倣に過ぎない」 (大隈 重信)

「日本海海戦の勝利は、小栗さんが横須賀造船所を造っておいてくれたおかげ」 (東郷 平八郎)

 >>日本の近代工学の源 小栗上野介VS勝海舟」(You Tube動画)


芋崎灯台
 幕末、ロシア軍艦が対馬の芋崎を一時占拠した「ポサドニック号事件」において、小栗は外国奉行として交渉にあたり、2週間で引き上げています。
 ロシアに対して何も対処できなかった、と言われがちですが、小栗の構想としては、

・対馬藩を九州本土などに移封して、対馬を幕府の直轄領とする。
・交渉は正式の外交形式で行い、国際世論に訴える。

芋崎
 さらに
・対馬を開港し、どの国でも利用できる状態にすることで諸外国同士を牽制させ、一国による占領を防ぐ。

・イギリスの力を借りる方法は、「前門の虎を追い払うのに、後門の狼を使うようなもので、危険」と考えていた。
(結局、幕府はこの方法を採用。実際にイギリス公使は、ロシアが譲歩しない場合は武力で対馬を占領することを本国に提案していました)



小栗上野介の最期は、

 旧幕府軍と、薩長を中心とする西軍が激突した戊辰(ぼしん)戦争がはじまると、幕府方として薩長への徹底抗戦を主張するも、恭順に傾いた徳川慶喜により罷免。
→土着願いを出し、小栗家の領地で静かに暮らそうとするが、西軍に捕らえられ、刑死。享年42歳。

北白川宮能久親王
 ちなみに、戊辰戦争において東北諸藩の盟主となった(後の)「北白川宮能久親王」は、明治26年、陸軍中将・第6師団長として対馬を視察し、城山山頂に金竹をお手植えされています。


 歴史は、勝者・生き残り組によって書かれる訳ですが、闇に葬られた敗者側にも優れた人材がいて、それぞれの人生があったのです。




 幕末の対馬、面白くなってきましたね!

 ガイドの会のみなさんと情報を共有して、対馬をより楽しくご案内いたします!

 NHK大河ドラマ「八重の桜」で戊辰戦争について学び、涙して、ついでに対馬に来てください!(殴)

 来たれ、幕末・歴史愛好者!


 つづき!

芋崎砲台

 欧米列強・清国との外交的・軍事的緊張にさらされた「国境の島・対馬」は、明治時代から昭和にかけて島全体が要塞化されていきます。

 >>対馬マニアックス 対馬要塞群を歩く

姫神山砲台
 明治期の対馬の砲台を代表する「姫神山(ひめがみやま)砲台」

 来たれ、砲台マニア!(殴)
記事カテゴリ: 対馬の歴史
「宗氏」〜勢力統一の時代〜 with 対州ガレット
こんにちは!最近のブログネタについて、楽をしていると指摘されている「食」担当のTです(^ ^;)
そんなことはない、と今回は宗氏の墳墓巡りの取材の一環として上対馬(かみつしま)地区にお邪魔しました。

朝10時、事務所(厳原)から車を走らせること約2時間(!)。
お昼時に上対馬町比田勝(ひたかつ)に到着です。

対馬の広さをあらためて実感します・・・(- -;)

先に軽く食事を、ということで以前このブログでも紹介させていただいた【ももたろう】さんへ。


ただいまこちらでは、対馬市島おこし協働隊のSさんや農業振興公社による
カフェメニュープロジェクトが行われているのです。

中に入ると、先に食事を済ませた小さなお客様がお出むかえしてくれました(^ ^)


彼は芸達者で、いろいろな物真似やムーンウォーク(!)まで披露してくれたんですよ(^ ^)
協会のブログをよく見てくれているというお母さん、約束守りましたよ!(^o^)ノシ

ゴホン。
さて、こちらで今回私が注文したものはというと・・・

そば粉のクレープ【対州ガレット】

「カリカリそば」・「上対馬とんちゃん」・「いか」等々、対馬の名産・特産品が入っています。

それに【対州そばコーヒー】をいただきました。

【対州そばコーヒー】は、対州そばを殻のまままるごと炒って、それをコーヒーとブレンドしたものだそうです。

対州そばがこうなる?という不思議な感じでしたが、味は確か!もちろん美味しかったですよ(^ ^)

こちらでは対州そばを使用したソフトクリーム等も販売されていて、お子様にも大人気です!


営業予定日は、当初取材した日(2月7日)までだったのですが、
好評につき、2月28日まで毎週月・木・土曜日の営業延長が決まったそうです(11日はお休み)。
また、それ以降も上県町佐須奈(さすな)にある【そば道場 あがたの里】さんにて販売されるそうなので、
皆様ぜひ召し上がってみてはいかがでしょうか(^ ^)


島おこし協働隊のSさんと、今回の墳墓取材に同行していただいたNさんによる「お待ちしてま〜す」。

〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜

この上対馬地区にはわかっているところで2つのお寺に宗家の墳墓があります。
まず向かったのは、上対馬町西泊(にしどまり)にある西福寺です。



こちらには、第15代島主「宗 晴康(はるやす)」公が祀られています。
この晴康公が行った代表的なことは、「宗」という姓を一本化したというものです。
つまり、「宗」を名乗ることを当主一門以外は認めずに改姓させ、島主としての権力を安定させることに務めたのです。

案内板に沿って行ってみると、


そこに鎮座しておりました。

 

ここで同行していたNさんから質問が。
「どうして対馬島主の墳墓が対馬全島に点在しているのでしょうか。」
私もそこが不思議で、前回の取材時梅林寺の和尚様に同じことを尋ねました。
その答えは・・・「『宗氏』の権力や影響力がここまで及んでいる、と島の内外に周知させるためです。」


この墳墓のすぐ隣には能理刀(のりと)神社へと続く参道の階段があるのですが、
神社関連のことはミスターマニアックこと局長Nさんにお任せします(^ ^)



次に向かったのは同じく上対馬町の豊(とよ)という地区にある慶龍院です。



こちらには、第14代島主「宗 将盛(まさもり)」公が祀られています。
(事前に調べたところ第17代島主「宗 茂尚」公も祀られているとあったのですが、案内板には不明と書かれてありました。)
14代将盛公の時代は宗氏の内紛が頻繁に起こっていました。
相次ぐ家臣の反乱を鎮圧したのですが、結局本城を囲まれたために城から退去。
家臣に庇護を求めますが拒否されてこの地に戻りそのまま一生を終えたとされています。
この内紛を抑えるために、先に紹介した15代晴康公が宗姓を嫡流のみにしたという流れが理解できると思います。

ここでも案内板に沿って行ってみると・・・


大きな杉の木の下に鎮座しております。

 


この将盛公の子孫がこのあと代々の島主となり、対馬藩初代以降まで続いていくことになります。


本格的な食事がまだだったので、せっかくだから純粋に対州そばを食べようということになり、
先ほどご紹介した【そば道場 あがたの里】さんへ。
それぞれ 「いりやきそば」 と 「もりそば」 を注文です(^ ^)
 

さすが対州そば、そばとは思えないほどのコシです。もちろん味もバッチリ、美味しいですよ(^ -)

そばを食べ終わると、ここで14時30分。 あらっ;時間が。。。
今後の対馬での再会を約束し、それぞれの帰路へつくことに。
Nさん、対馬のお殿様の墳墓を巡るというマニアックな取材に同行いただきありがとうございましたm(_ _)m
次回は是非、【ももたろう】さんの新メニュー「あなごラーメン」を食べましょう!

【お問合せ先】
まほろばの里 ももたろう
TEL 0920-86-3907

そば道場 あがたの里
TEL 0920-84-2340
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星空と隕石について
 こんにちは、昼休みに「津島紀事」(つしまきじ。江戸時代の地誌。「対馬」ではなく「津島」)を少しずつ読んでいる局長Nです。
(理事会の資料づくりからの現実逃避とかじゃないですよ)

 さて、冬は空気が澄み、朝日や漁火(いさりび)、星空が綺麗なのですが、その星が対馬に落ちたことがある、というお話を2つほど。

阿連シュッタ
 上の写真は、長崎県対馬市厳原町阿連(つしまし・いづはらまち・あれ)の北西、「シュッタ」と呼ばれる海岸です。
 「隕石が落ちた跡」(古老の話)として紹介されています。

「津島紀事」 佐須郷・阿連村

(阿連の)西目に「星池」という丸い形のところがある。
古老が言うには、昔、星が落ち、その土地がにわかに池となった。
追々、埋めて田としたが、今でもその丸い形が残っている。

Googleマップ
 >>対馬市厳原町阿連(シュッタは、地図のオリグチ崎のところ)


 もうひとつ。
 豊玉町銘(とよたままち・めい)には、星が落ちて石となったので、ご神体として神社に祭った、という言い伝えがあります。

明嶽神社
明嶽神社。
神体は一尺(約30cm)の石だそうです。

「津島紀事」 仁位郷・銘村

 風もなく雲もない夜に、雷のような轟音とともに海辺に星が落ちた。
 変化して石になったので、そこに壇を築き、祭った。

 どちらも科学的に分析はされていませんが、少なくとも江戸時代にさかのぼる伝承です。

銘の地図
対馬市豊玉町銘。

Googleマップ
 >>対馬市豊玉町銘
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「対馬三聖人」〜偉大なこっぽうもんたち〜
明けましておめでとうございますm(_ _)m
「食」担当のTです。本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、今回は【番外編】として「対馬三聖人」の墳墓巡りをお届けします(^ ^)
取材日の気温に怖気づいたわけでは決してありません。(この日の最低気温−2℃・・・(> <)/ )

凍えながらまず向かったのは、厳原町久田道(くたみち)にある海岸寺(かいがんじ)です。
こちらには、「賀島恕軒(かしまじょけん)」が祀られています。


賀島恕軒(兵介) 1645年〜1698年 没 53
1675年31歳の時、田代(今の佐賀県鳥栖市)領の副代官となる。
飢餓に苦しむ領民にはコメを与え、洪水に苦しむ領民のために堤防を造るなど、
領民のための施政を行ったことにより、人民には慈父のように慕われた。


事務所から徒歩で約10分、目的のお寺までここから100mの道標。


振り返ってみると・・・

イカのメリーゴーランド!(^ ^) 
 

坂を上って海岸寺に到着です。


案内に導かれると・・・鎮座してあります。



この方、田代の副代官からその後対馬の大目付となるのですが、その頃の対馬藩は絶頂期で有頂天。
1687年には対馬藩を思うあまりに「三十四か条の弾劾文」というものを藩に提出します。
一説には、家老を糾弾するもので藩政批判ではなかったようなのですが、
結果的に藩主義真(よしざね)を批判したことになり、狂書とされ伊奈(いな)村へ流罪になってしまいます。
賀島家も対馬藩によりとりつぶし、伊奈村に幽閉されたまま53歳で亡くなります。
おかしいことをおかしいと時の藩主に直言することにより、
藩主の逆鱗に触れてしまいその力を発揮することができなかったのです。

なお、現在でも毎年4月9日には鳥栖市と基山町の「賀島公顕彰会」により賀島祭が開かれています。
対馬では評価される実績をあげることなく亡くなってしまいましたが、
対馬藩の当時の飛び地では、善政により本当に慕われていたということがよくわかります。

通り道。

 
 中矢来                                 漂民屋跡

次に向かったのは厳原町大手橋(おおてばし)にある修善寺(しゅぜんじ)です。
こちらには「陶山訥庵(すやまとつあん)」が祀られています。
 


陶山訥庵 1657年〜1732年 没 75
主に農政方面で活躍した儒学者。
対馬藩の朝鮮貿易は、当時衰退していく一方だった。
藩財政も破綻しかけていたことから、貿易に頼らず農業によって対馬を自立させることを計画。
そのためには、まず農作物を食い荒らすイノシシを根絶させる必要があり、
「生類憐みの令」が発せられていた時代にありながらも、農民たちを説得し根絶を達成させる。


ここでも案内に従い、階段を上っていくと・・・鎮座しておりました。


イノシシを根絶するために農民に銃の扱いを教え、対馬を九区画に分けて一区画ずつ確実に根絶させていきました。
この結果、10年かけてイノシシ8万頭の退治に成功します。
これはエリア戦略・ランチェスター戦略として、現在の経営学にも通じるということのようです。
徳川将軍の命でもある「生類憐みの令」、それを無視してまでも農民を守るためにイノシシ退治をするのは何故か。
実は農民に銃の使い方を覚えさせたのは、イノシシ退治を名目にしながら
あらゆる外敵から、島を「自らの力で守るための術(すべ)を身に付けよ」、という裏の理由があったともされます。


ここで昼食です。【対馬バーガー KiYo】さんで(^ ^)


対馬バーガー

イカはプリプリしてて、対馬のヒジキが練り上げられたパテも絶妙です!
まず何よりバンズが美味い!

とんちゃんバーガー

とんちゃんとバンズの相性が最高です!

それぞれ、ひとつでお腹いっぱいになるのに、ふたつも一気にペロリ (0^ ヘ ^0) でした。
ごちそうさまでした(^o^)/


さて、三聖人。
次に向かうは、厳原町日吉(ひよし)にある長寿院(ちょうじゅいん)です。
こちらには雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)が祀られています。
 


雨森芳洲 1668年〜1755年 没 87
江戸中期の対馬藩の儒学者。
26歳で対馬藩の朝鮮方佐役となり、日朝外交の実務に精通。
『交隣提醒』にて「互いに不欺、不争、真実を以て交り候を誠信とは申し候」という誠信外交の道を説く。


墳墓を目指しますが、とにかくひたすら山を登ります・・・(^ ^;)
膝がガクガクなりながらも到着。鎮座しておりました。

この方対馬藩はもとより、朝鮮通信使関連で幕府との折衝にも尽力をした人なのです。

対馬三聖人の墳墓巡り・・・
私にとって新年一回目のブログ更新にあたり、ありがたい仕事をさせていただきました。感謝です!(^ ^)
今回は対馬三聖人にこだわりましたので、
今後の「宗氏」の墳墓巡りでも重複するところもあろうとは思いますが、なにとぞご容赦を。(続かせますよ〜)


〜標題にあります「こっぽうもん」とは。
訥庵は、流罪となった恕軒に対し「間違ってはいない」と尊敬し、大事に際しては恕軒の意見を聞いていたそうです。
また、芳洲は訥庵のことを
「先生と語っているときは汗が常に流れ、終わって門を出るときには大息を吐いてしまう」
と言いながら、常に論戦を交わしていたという・・・(^ ^)
本当に対馬を愛するがゆえに自我を曲げず、その後の道を開いてくれた偉大な「頑固者」のことです。



【お問合せ先】
対馬バーガー KiYo
TEL 0920-52-0873
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「宗氏」〜支配権確立の時代〜
こんにちは!「食」担当のTです(^ ^)
めっきり寒くなってから自分の持っている服の少なさに気付く、という失態を演じてしまってマス(> <)

さぁ今回もやります私の趣味と実益を兼ねた宗家の墳墓巡り。
意外にも(?)「行ってみたい」と言ってくれる方がいらっしゃって、私もこのうえなく嬉しいです(^ ^)

さてさて、この日まず向かったのは、第4代島主「宗 経茂(つねしげ)」公の墳墓といわれている場所。
「宗 経茂」公は、宗家の、対馬における実質的支配権を確立し、朝鮮に近い地の利を生かして、
宗氏としては初めて高麗に使者を遣わし、朝鮮通交の基礎を作ったとされる人物です。

墳墓は美津島町小船越(こふなこし)・梅林寺(ばいりんじ)向かいの山の中腹にあります。

急な細い階段を登ると、



ひっそりとたたずんでおられます。


眼下には、小船越地区の街並みが。



「宗 経茂」公は、少弐氏の守護代で大宰府で執務をすることが多く、
島内実務は弟の頼次(宗香)が、仁位中村(にいなかむら)にて代行したとされています。
現在の長崎県立豊玉高等学校の裏に跡地があったとされ、そこに石碑が残っています。




宗氏の対馬での存在感を押し上げたのはこの「宗 経茂」公と宗香であったといわれます。


真下は国道382号線なのに、車の音が全然気にならないような不思議な空間でした。

拝礼した後、ちょっとお話を聞ければと向かいの梅林寺にお邪魔しました。


この梅林寺、実は日本で最も古いとされるお寺なんです(^ ^)

急な訪問に嫌な顔ひとつせず対応していただいた和尚様の話によると・・・

百済から(後に仏教を伝えるために)日本を訪れた視察団が帰路の際に対馬を訪れました。
彼らが自国に戻るためには海流の影響もあり、どうしても対馬経由のルートでないといけなかったのです。
小船越には「西の漕手(にしのこいで)」と呼ばれる場所があり、視察団はそこに到着。
彼らは対馬で約二ヵ月間、自身の長旅の疲れを癒しつつ、ついでに船の補修をおこないました。
しかし、視察団でありながらも彼らはれっきとした僧侶。この対馬に滞在しながらも修業は欠かせません。
つまり彼らが「日本で初めて」お経をあげた場所が対馬であり、その地が小船越だったのです。
だからこそ、百済の聖明王から欽明天皇に仏像や経典が献呈されるときに、
この地を選び、御堂を建て仏像を仮安置した場所「梅林寺」という寺として残った。
それが日本最古の仏跡といわれるゆえんなのです。

「西の漕手(にしのこいで)」

「日本のひとつの歴史を作ったここ梅林寺は、菊の御紋を掲げることを許された寺なんですよ。」

確かにそれはありました。
左から「葉付き裏桜」、「菊の御紋」、「五七の桐」が輝いています。



しばらくいろいろなお話を聞かせていただき、資料を見せていただいた後、
「宗家のお墓を巡るなら、必ず佐賀(さか)の円通寺(えんつうじ)には必ず行かんね。」
「はい!ありがとうございます!!」

もっとお話を聞かせていただきたかったのですが、、、
和尚様、本当にお世話になりありがとうございました(^ ^)
梅林寺を後にして、次に向かうのはその円通寺です。

とその前に腹ごしらえを。

峰町(みねまち)佐賀(さか)にある【対馬地産の味 兵丹(ひょうたん)】さんでお弁当を購入。
この【兵丹】さんは、地元の食材を使った手作りのお弁当を提供してくれます。
(予約をしておけば、店内でお食事もできます。)
今回は手作り弁当を近くの公園で美味しくいただきました(太陽の下でポカポカ)。


さてその円通寺(えんつうじ)。

こちらには宗家7代「宗 貞茂(さだしげ)」公、8代「宗 貞盛(さだもり)」公、9代「宗 成職(しげもと)」公が祀られています。



時は室町時代、当時は島内の状況が悪化していたらしく、倭寇が活発化していたようです。
7代島主「宗 貞茂」公はここ佐賀(さか)に国府を移して朝鮮との連携で倭寇を鎮定し、また朝鮮との通交貿易に力を入れました。
「宗 貞茂」公が亡くなった際には、朝鮮からの弔慰(ちょうい)使が訪れ、さらにこの梵鐘が送られたとされています。



それほど深い交流をおこなっていたんですね。
ところが、「宗 貞茂」公が亡くなると、再度倭寇が力を盛り返してきます。
少弐氏がらみで九州の領土争いに飛び込んだり、とりわけ島主の若返りというタイミングが大きかったのでしょう。
8代「宗 貞盛」公の時には朝鮮との交流が薄れ、逆に朝鮮から侵略行為を受けてしまいます。
倭寇討伐の名目で李氏朝鮮が対馬侵略を行った「応永の外寇」(Wikipedia)がそれです。
ただ、倭寇に悩む朝鮮と、朝鮮貿易に活路を見出さなければならない対馬との間において、徐々に関係が回復されていきます。
その後結ばれた嘉吉約条では、朝鮮との外交窓口として実利優先で貿易をおこないます。
8代「宗 貞盛」公から9代「宗 成職(しげもと)」公の時代、山地が多く耕地が少ない対馬においては食糧の自給が難しいため、
朝鮮との貿易による利得を得ながら、外交面での権威を高めていったという時代でもあったのです。
佐賀が国府であったこの宗家3代の時期がもっとも充実し、もっとも野望にあふれていたという見方もあります。
その墳墓が、円通寺裏に祀られています。






この円通寺の入口には朝鮮通信使に尽力した「李芸」の碑がありますが、
それはまた次回以降に。(さらっとこのシリーズを続かせようというアピールを。。。)

また、この峰町には小茂田浜にて元寇で玉砕した初代「宗 資国(すけくに)」公の兄であり、
この地にて同様に元寇に立ち向かった「宗 甲斐六郎」が祀られている普光寺があります。


帰路につきます。途中、寄り道。

和多都美神社(この時間は干潮でした。)



烏帽子岳展望台(写真では伝わりませんが・・・さ、寒い!!)


実はこの日、朝の気温はマイナスを記録していたので早々と切り上げました。

ブルブル震えながら法定速度で厳原に戻り、体を中から温めようと・・・。
こちら【志まもと】さんにお邪魔しました(^ ^)



地元の郷土料理で代表的な「ろくべえ」です。


「あー、やっぱり美味い!」


ホッと一息(^o^)
すごく体が温まりました(^ ^)

さて次回の訪問地も、梅林寺の和尚様のおかげで浮かんできています(^ -)
ありがとうございます。

皆様、このシリーズについて来て下さいね!!!


【お問合せ先】
対馬地産の味 兵丹(ひょうたん)
TEL 0920-82-0032

志まもと
TEL 0920-52-5252
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