(一社)対馬観光物産協会ブログ

対馬の観光物産情報をお伝えします。
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木坂海神神社大祭
皆様、初めまして。

巷で話題騒然の大型新人Fこと、フナ男30歳です。



9月20日、木坂海神神社大祭が開催されました。

毎年、旧暦の8月5日に開催されているそうで、今年はその日が9月20日にあたるそうです。


大型新人といえども新人ですので、先輩方や書籍の完全な受け売りです。
自信が持てるまで受け売り感を出してしまうこともあるかと思いますが、温かく見守っていただければと思います!










海神神社大祭当日。

朝出勤すると、勉強のために見学して来なさいとの事で同協会Aさん、市役所Nさんに同行させていただき
3人でバタバタと出発。





協会の事務所がある厳原から、海神神社がある峰町木坂まで車で、およそ1時間20分。


そして片道1車線で、法定速度を大きく下回る車に捕まる。






・・・・・・・・・・・。






時間的に始まる前の到着は絶望的。






そんな中、AM10時過ぎ、Nさんの大胆かつ慎重な安全運転により、無事到着しました。







到着早々360段の石段を登って行くと、“お下がり”に遭遇しました。







残念ながら、国選択無形民俗文化財の神楽の命婦(みょうぶ)の舞の奉納は見ることが出来ませんでしたが
お下がりに間に合って良かったです。




白装束を着た氏子さんたちが、3基の神輿を担ぎ大汗をかきながら、360段の急勾配の石段を下る姿は壮観でした。




石段を下った後は、境内を抜け






海近くの御旅所に神輿が据えられ神事は続きます。







神事のクライマックは、海岸にて“ズキ”と呼ばれる貝を海に放生(ほうじょう)します。





海に背を向け、セイッ!



トレヴィの泉方式で、コインではなく、貝を投げます。

遠く離れたイタリアにも通ずる神事に、興奮とロマンを覚えました。




こうやって、木坂海神神社大祭は厳粛な雰囲気のまま終了いたしました。











と思っていたのは僕だけで、出したものは元の場所に戻すのが世の常です。


先ほど大汗をかきながら、360段の石段を下った氏子衆。


今度は、もっと大汗をかきながら360段の石段を上る訳です。





カメラしか持ってない僕も、足パンパンで息ぜぇぜぇーで登っているのに氏子衆の体力、ハンパではありません。



それにもましておじいさん、根性が違います。



這っても登るぞという気合に満ち溢れていました。

本当にかっこいいです。





僕はフラフラになりながら拝殿に到着。





私自身、対馬出身にも関わらず、初めて見たそれは、想像以上に大きく神聖な空気漂う場所でした。



その後、境内にある峰町ふるさと宝物館が無料開放されているということで、国指定重要文化財である
銅造如来立像などを見学させて頂きました。


この銅造如来立像ですが、初めて見た私は度肝を抜かれました。


私自身の勉強不足により、その背景などを知らなかったのですが、そのフォルムはとてつもなくカワイイっ!!!

としか言いようがありません。



頭と体のバランス、そしてサイズ感。

完ぺきですっ!

ずっと見てられます。

見たことのない方は是非一度、見ていただきたいです。

当日は無料開放でしたが、通常は500円の入館料が必要との事です。

銅造如来立像の他にも、貴重な品々が展示してあり、行って全く損は無しです!



入口は、ただカワイイという所ですが、そこからその歴史や背景、対馬へと興味が広がって行きそうな気がします。





ということで大型新人初ブログ、木坂海神神社大祭を体験しましたの回でした。


今回は初めてということもあり、まとまりはありませんが、今後はもっと興味深く対馬愛に満ちたブログを書けるように

精進していきますので、成長を温かく見守っていただくと共に、ご教授よろしくお願いいたします。









記事カテゴリ: 対馬の式内社をめぐる
対馬の式内社をめぐる1 〜和多都美神社と豊玉姫関連の神社群〜
 こんにちは、観光担当Nです。
 「対馬の式内社をめぐる」第1弾は、対馬市豊玉町(とよたままち)の「和多都美(わたつみ)神社」と、豊玉姫関連の神社群です。
 和多都美神社は、対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)北岸の最深部にあり、もともとは船でしか行けない地形ですが、現在は拝殿前まで車道が整備されています。

和多都美神社
 場所は、長崎県対馬市豊玉町仁位和宮。
厳原港〜豊玉町仁位(車で約1時間、対馬空港からは約45分)(Googleマップ)

拝殿
 拝殿(はいでん)横には、竜神のような老松が生えています。よく見ると、本殿(ほんでん)の下から這い出てきているのがわかりますか?
 ちなみに、拝殿は氏子さんたちが参拝・神事などに利用する建物、本殿は神様が鎮座する(とされている)建物です。

磐座
 境内には奇岩が多く、それぞれが祭られています。

裏参道
 通常、拝殿・本殿だけ参拝して帰る方が多いのですが、雰囲気のよい裏参道を5分ほど歩くと・・・。

磐座
 「豊玉姫の墳墓」といわれる磐座(いわくら)があります。
 拝殿・本殿などの建築物は、仏教建築に対抗する形で誕生したと考えられており、野外のこうした神域が、神道本来の祭祀(さいし)の場でした。

命婦の舞
 和多都美神社・海神神社には、もっとも古い神楽の一種とされる命婦(みょうぶ)の舞が伝承されています。
 海神の力が文字通りの「最高潮」に達するとされる秋の大潮の満潮時に古式大祭が執り行われ、舞が奉納されます。

【祭神】
 和多都美神社の祭神は、日子穂彦穂出見命(ヒコホホデミノミコト)と豊玉姫(トヨタマヒメ)。
 ヒコホホデミは、通称の「山幸彦」の方が有名で、「ミコト」は尊称です。

【伝承】
古事記の「海幸山幸」伝承は以下のとおり。
・海幸彦(山の猟師。兄)と山幸彦(海の漁師。弟)の兄弟がいて、山幸の提案で猟・漁の道具を取り替える。
・山幸彦は釣り針をなくし(兄に責められ)、釣り針を探す旅に出る。
・海辺で老人(塩の神)と出会い、海底の竜宮へ行くと、そこで大海神(オオワタツミ)の娘・豊玉姫と恋に落ち、ともに暮らすようになる。
・竜宮での3年が過ぎ、故郷を思い出した山幸がため息をつくと、大海神はその理由を問いただす。
・大海神が釣り針探しのためすべての魚を竜宮に集めると、釣り針は、鯛(タイ)の喉に引っかかっていた。
・釣り針を得た山幸は地上に戻り、豊玉姫の力で豊かになっていくが、海幸はどんどん貧しくなり、ついに弟を攻めてくる。
・山幸は海神の力で兄を降伏させ、兄は服従を誓い、その証として舞(隼人舞)を舞う。
というもの。

 かなり雑なダイジェストなので、詳しくはこちら
 >>山幸彦と海幸彦(Wikipedia)

【神話と歴史】
 山幸彦は初代天皇・神武天皇の祖父(豊玉姫は祖母)にあたり、海幸彦は九州に大きな勢力を持っていた隼人(はやと)の一族なので、この神話の裏には、天皇家の祖先が、海神を信仰していた九州北部の海洋民の協力を得て、九州を制圧していった、という歴史が重ねられているようです。
 また、式内社の認定に際しては、九州北部の朝廷サイドの勢力(対馬・壱岐などはこちら)が重要視され、たびたび反乱を起こしていた九州南部の勢力は無視されているようです。
 鹿児島・宮崎唯一の名神大社は、鹿児島県霧島市隼人町にある「鹿児島神宮」ですが、祭神はなんと山幸彦と豊玉姫。
 隼人の祖神ではなく、征服者側の神々が祭られていることになります。

【伝承その2】
 ちなみに「海幸山幸」の神話の続きは・・・。
・豊玉姫は山幸彦の子を身ごもっており、出産の時が近づくが、「出産の際、自分は本来の姿に戻るので、決して覗かないように」と伝え、作りかけの産屋(うぶや)に入る。
・山幸彦が覗くと(お約束)、巨大なワニザメが出産の苦しみでのた打ち回っていた。
・子神(ウガヤフキアエズ)は無事産まれたものの、約束を破られた恥ずかしさと恨みのため、豊玉姫は海の国・竜宮へ帰り、その道を塞いでしまう。
・子どもを案じた豊玉姫は、妹の玉依姫(たまよりひめ)を乳母として遣わし、のちにウガヤフキアエズと玉依姫の間(叔母と甥ですが)に、カムヤマトイワレビコが産まれる。

 古事記上巻はここで終わり、中巻ではカムヤマトイワレビコが九州から近畿へ「東征」を行い、神武天皇=初代天皇となっていく姿が描かれます。

「神話」に何らかの歴史的事実が隠されているならば、九州北部の海洋民族と手を組んで九州を制圧した天皇家の祖先が、そのまま東進して近畿まで勢力を延ばし、やがて日本の支配者になっていく、という歴史が見えてくるのですが、古代史論争に首をつっこむと大変なので(殴)、想像の範囲で。


【海幸山幸と竜宮伝説の地】
 海幸山幸というと宮崎県の青島神社が有名ですが、古文書が焼失してその由来は判然とはしないとのこと。
 対馬に住むものとしては、式内社に名を連ねる和多都美神社が海幸山幸の舞台だと信じているのですが、対馬の伝承地をいくつか紹介して、あとはブログを読む方の判断にお任せしたいと思います。

※追記 このブログを書いた翌日、ニュースで宮崎の裸まつりが紹介されていました。
 突然帰還した山幸彦を住民が迎える際、服を着る時間もなく、裸で迎えたことに由来する、という説明だったのですが、対馬では山幸彦は島外からやってきて、また去っていったのに対し、宮崎では「戻ってきた」という説明になっているのが興味深いです。

紫の瀬戸
 釣り針を探す旅に出た山幸彦は、まず美津島町鴨居瀬(みつしままちかもいせ)に到着。
 鴨居瀬〜小船越(こふなこし)は、古代の大陸航路の重要な港でした。

天神神社(濃部)
 美津島町濃部(のぶ)の集落奥にある天神神社。 山幸彦がしばらく忍び住んだ=忍ぶ=「のぶ」の地名伝承があります。
 祭神は山幸彦(だけ)。この時点で、まだ独身なわけです。

和多都美神社
 豊玉町仁位の和多都美神社。山幸彦はここで豊玉姫と出逢いました。
 祭神は、山幸彦と豊玉姫。カップルになりました。

住吉神社(鴨居瀬)
 鴨居瀬の住吉神社。山幸彦の到着地で、豊玉姫の出産地でもあります。鶏知の住吉神社の元宮。
 紫瀬戸とも呼ばれる古くからの景勝地。
 祭神はウガヤフキアエズ。子どもが産まれました。

住吉神社(鶏知)
 美津島町鶏知(けち)の住吉神社です。隣りに小さな和多都美神社もあります。
 祭神は、豊玉姫・玉依姫・ウガヤフキアエズ。山幸彦(お父さん)はどこかへ行ってしまいました。

六御前神社(千尋藻)
 豊玉町千尋藻(とよたままちちろも)の六御前(むつのみまえ)神社。巨大なイチョウが目を惹きます。
 祭神は、山幸彦と、ウガヤフキアエズを養育した6人の乳母。お父さんとベビーシッターが祭られているわけです。

志々岐神社(久田)
 厳原町久田(いづはらまちくた)の志々岐(ししき)神社。志々岐は神功(じんぐう)皇后関係の神社ですが、祭神は豊玉姫。
 豊玉姫の出産の際、産屋に入ってくるカニをほうきで掃き出した、という故事にちなみ、ほうきを奉納すると安産に恵まれるとか。


【おまけ】

磯良
 和多都美神社の境内にある「磯良」(いそら)の霊石。
 磯良は、神功(じんぐう)皇后伝説に登場する海神で、古代の有力な海洋民族・安曇(あずみ)氏の祖神ですが、豊玉姫の子=磯良という伝承があるようです。
 ちなみに安曇氏の拠点は福岡の志賀島(しかのしま。金印で有名)ですが、遠く信州まで勢力を伸ばし、安曇野(あずみの)という地名を残し、対馬にも大きな影響を与えた白村江の戦いで戦死したと伝えられる将軍・安曇比羅夫(あずみのひらふ)は長野県の穂高神社の祭神となっています。

 神功皇后と磯良は対馬に色濃く足跡を残しており、そのお話は、対馬一の宮「海神神社」で!

 (ここまで書くのに休日を何日か潰しました。最後まで読んでいただいた方は3%くらいのような気もしますが・・・(-_-;))
記事カテゴリ: 対馬の式内社をめぐる
「対馬の式内社をめぐる」について
 あけましておめでとうございます。
 昨年中はご愛顧のほど誠にありがとうございました。
 本年もよろしくお願い申し上げます。

 あらためまして、観光担当Nです。
 初詣といえば神社ということで、(舌の根も乾かないうちに)新シリーズ「対馬の式内社をめぐる」を始めます。
 なぜ神社なのかと言いますと、今年2012年は古事記が完成して1300年目の節目の年で、奈良・出雲など各地で古事記や日本書紀、万葉集などを絡めた観光PRが計画されています。
 昨年はNHK「坂の上の雲」に便乗しましたが、今年は「古事記」に便乗して、協会の予算を有効に使っていこうかと(殴)

 さて、神社についてのお話ですが、「式内社」(しきないしゃ)という言葉をご存知でしょうか?

 延長5年(西暦927年)にまとめられた「延喜式」(えんぎしき)という書物の9・10巻に、全国の官社(当時の朝廷に認められた神社)の一覧が記載されているんですが、およそ1000年前から朝廷に重視されていた神社ということで、現在でも神社の「格」を示す一種の物差しになっています。

(延喜式に記載されている神社=延喜式内社=式内社です)

 式内社は全国で2861社あり、そこに鎮座する神様の数は3132座になります。ちなみに、神社の数より神様の数が多いのは、福岡県の宗像(むなかた)大社のように、1つの神社に3座(3姉妹)の神々が鎮座する場合などがあるためです。
 九州(西海道)には、98の式内社があり、107座の神々が鎮座しています。

 さて、ここで問題です。
 九州で一番式内社が多い地域は、どこでしょう?

 高千穂がある宮崎?鹿児島?


 実は、対馬なのです。

【九州の式内社数】 98社/107座
1位 対馬 29社/29座
2位 壱岐 24社/24座
3位 筑前(福岡県西部) 11社/19座
宮崎・鹿児島(5位大隅・7位日向・11位(最下位)薩摩)を合計しても11社/11座。

ちなみに、式内社のうち、特に霊験あらたかとされる「名神大社」は、九州30社/38座中、
1位 筑前 8社/16座
2位 壱岐 7社/7座
3位 対馬 6社/6座
で、宮崎・鹿児島(大隅1社/1座、日向0社、薩摩0社)です。

式内社のうち、対馬・壱岐に九州の半分、筑前を加えると3分の2、名神大社も同様に筑前・対馬・壱岐に集中しています。

和多都美神社
和多都美(わたつみ)神社(対馬市豊玉町仁位)
※名神大社「和多都美神社」または「和多都美御子神社」に比定


なぜ、対馬・壱岐にこれほどの数の神々が鎮座しているのでしょうか?

なぜ1000年前の朝廷が辺境の島をそれほど重視していたのでしょうか?

この式内社の北部九州への集中は何を意味しているのでしょうか?

対馬の神社を紹介しながら、その謎を(個人的な見解、というか独断と偏見を交えながら)解いていきたいと思います。


ちなみに、対馬の名神大社6社は、

【上県郡】
和多都美(わたつみ)神社 → 豊玉町仁位の和多都美神社
和多都美御子(わたつみみこ)神社 → 峰町木坂の海神神社

【下県郡】
高御魂(たかみむすび)神社 → 厳原町豆酘の多久頭魂神社内
和多都美神社 → 厳原町中村の八幡宮
太祝詞(ふとのりと)神社 → 美津島町加志の同名神社
住吉神社 → 美津島町鶏知の同名神社

です。高御魂神社と太祝詞神社を除く4社は、現在のどの神社に同定するのか各説があります。


城山にて
写真が少なくて寂しいので、昨日1月3日にちびっ子登山隊を連れて城山(じょうやま)に登ったときの写真を・・・。
若干一名バテていますが・・・。

今年もよろしくお願いいたします<(_ _)> 
記事カテゴリ: 対馬の式内社をめぐる
神社調査について、その3
前回の記事の続きです。
今年度、神社庁に登録されている対馬の神社約130社の写真撮影を行っていますが、いよいよ最後のエリア、上県町(かみあがたまち)の西海岸部です。

対馬市上県町(かみあがたまち) 志多留(したる)→伊奈(いな)→越高(こしたか)→御園(みそ)→犬ケ浦(いぬがうら)

DSC07864_small.jpg
【志多留・大将軍山(でじょうぐやま)古墳】
志多留の集落近くの山の斜面にある古墳です。現在は箱式石棺が残されているだけですが、漢鏡と玉などが出土しており、古墳時代の有力者が埋葬されていたと考えられています。

DSC07868(賀島恕軒)_small.jpg
【賀島恕軒(じょけん)の碑】
伊奈の集落を歩いていると、賀島恕軒(兵介)の草庵跡の石碑を発見。
恕軒は、江戸時代に対馬藩の飛び地であった田代領(佐賀県鳥栖市・基山町)の代官所副代官として善政を敷き、その徳を偲び、現在でも佐賀で「賀島祭」が行われているという人物。

佐賀新聞・2009年4月
 >>「善政の賀島公 遺徳しのび神事―対馬市からも関係者」

 ・・・が、対馬に戻って藩政を批判、三代藩主・宗 義真(そうよしざね)の逆鱗に触れ、伊奈に謹慎、そこで生涯を終えました(-_-;)
 いったん取り潰された賀島家ですが、田代領から追慕の声が高く、数十年後に賀島家は再興、名誉回復しました。恕軒の墓所は厳原町久田道の海岸寺にあります。

 余談ですが、田代領では対馬藩を通して朝鮮の薬(奇応丸、千金丹など)の輸入が行われたため売薬・製薬が盛んで、幕末に久光仁平が小松屋を創業、明治になって「奇神丹」を発売、それが日清・日露の軍用薬になり、「サロンパス」(昭和9年発売)で有名な久光製薬に発展していきます。

 >>薬100話
 >>久光製薬・沿革

DSC07884(伊奈・伊奈久比神社)_small.jpg
【伊奈・伊奈久比(いなくい)神社】
伊奈は、白鶴が稲穂を落とし、それを耕作適地の志多留に植えたのが稲作の始まり、という起源伝承がある地域です。
伊奈久比神社の祭神は大歳神(穀物神)で、「いなくい」は、「稲」+「食」または「くぐい」(白鳥の古名)などの説があるそうです。
「穂流川」にかかる橋は「鶴鳴橋」。

【越高】
越高には縄文早期末・前期(6500〜7000年前)の遺跡があり、九州産の黒曜石と朝鮮半島の土器が同時に出土しています。
中国に古代文明が生まれる前から、対馬の縄文人は九州と朝鮮半島を小船で往来していたのです。

DSC07925(御園トンネル)_small.jpg
【御園】
御園にはヤマネコトンネルとかわいい神社がありました。

DSC07958_small.jpg
【犬ヶ浦・不思議な岩】
犬ヶ浦には出雲の国造りで活躍する「スクナヒコナ」を祭った「鷦鷯(さざき)神社」がありますが、由緒は不明。
以前から気になっていた道路端の「金山宮」にて。
ご神体?(-_-;)


こうして、対馬の神社をめぐる旅は終わったのでした。
神社はほぼすべての集落にあるため、はじめて訪れる集落もあり、いろいろ新発見もありました。ほとんどの神社が素朴で、一般観光向けではないのですが、今後代表的なものをピックアップしてご案内できるようにしていきたいと思います。
※志賀島、黒島、内院島など、通常の移動方法で行くことができない無人島は除外しています。(そのうちシーカヤックで行きます)
※神社庁に登録されている神社が約130社、登録外はその数倍あり、撮影中にもたくさん見かけたのですが、見て見ぬフリをしました(^^;)

次回は、「街道をゆく13 壱岐・対馬の道」で司馬遼太郎が訪れた道や、対馬のお酒を紹介する予定です。

(観光担当N)
記事カテゴリ: 対馬の式内社をめぐる
神社調査について、その2
島内の神社調査・撮影も大詰めを迎え、130社中残るは数社。
神社はほぼ全集落にあるので、島内ほとんどの地区を通過し、残るは、上県町(かみあがたまち)の志多留・伊奈・越高・御園・犬ケ浦です。

その途中、いろいろ面白いものを発見したのでご紹介します。

DSC07596(豊・沖椎根島・池椎根島・不通浜)_small.jpg
【不通浜(とおらずがはま)】
対馬市上対馬町豊(とよ)にある、日本神話の英雄神スサノオと神功(じんぐう)皇后の伝承が残る地。強烈な禁忌(タブー)の地なのと、遠いので断念(-_-;)
日本書紀では、出雲(いずも)の神スサノオは、姉のアマテラスと争って高天原を追放され、まず新羅(しらぎ、朝鮮半島)の「ソシモリ」に降ります。
そこが気に入らず、出雲に行くのですが、途中立ち寄ったという伝承地が対馬のあちこちにあり、ほとんどが立入禁止の地や神社になっています。
市役所の豊出身の方に不通浜について聞くと「くれぐれも、絶対に、行かないように」と念を押されました。
行きません(-_-;)

20110114_mana.jpg
【マナヅル】
対馬市上県町仁田(にた)の田んぼでマナヅルを発見。対馬では毎年ツルの渡りが観察されます。
ほとんどが鹿児島の出水(いずみ)に向かうようですが、まれに群れからはぐれて取り残されます。
冬になるとオオワシなどの大型の猛禽(翼長2m)も姿を現し、島内のバーダーの動きが活発になります。

DSC07799_small.jpg
【デラックス蜂洞】
対馬市上県町鹿見(ししみ)にて、超豪華な蜂洞(はちどう)を発見。
蜂洞は、ニホンミツバチを飼育するための対馬伝統の養蜂箱です。丸太を繰りぬいて作り、フタは板・コンクリートブロック・トタンなどが多いのですが、まさかの瓦屋根(^^)
ニホンミツバチの蜂蜜は年に1回しか採蜜できないため希少価値が高く、また89%が森林である対馬では田畑の農薬もほとんど使われないため残留農薬などの心配も少なく、対馬の特産品として近年大人気です。

はちみつ01_small.jpg
秋に蜂洞を開けるとこんな感じです。

(観光担当N)
記事カテゴリ: 対馬の式内社をめぐる
おもしろ狛犬!?
昨日調査した神社に、おもしろ狛犬?を発見!!
何かが足りない・・?

昨年から対馬の神社を調査してますが、こんな狛犬は初めて見ました。

場所は上対馬町小鹿(かみつしままち おしか)の「那須加美乃金子神社」です。
ぜひ捜してみて下さい(^O^)

小鹿の狛犬2.jpg
小鹿の狛犬1.jpg

(観光担当・厳原支部担当A)
記事カテゴリ: 対馬の式内社をめぐる
神社調査について
 対馬観光物産協会では、毎年度テーマを絞って観光資源調査を行い、その際に得た情報・写真を冊子作成やホームページなどに利用しています。
 平成22年度のテーマは、シーカヤック、ウォーキングなどの「エコツーリズム」(と平行して、「神社」「対馬要塞」)
(冊子のダウンロードは「対馬エコツーリズムガイドブック

【神社調査に関して】
 平安時代にまとめられた「延喜式神名帳」には九州全体で98社(107座)の官社(いわゆる式内社)が記載されていますが、うち対馬が29社(29座)(九州最多)、壱岐が24社(24座)、筑前が11社(19座)であり、福岡〜壱岐〜対馬というラインを当時の朝廷がいかに重要視していたかがわかります。

 冬の間に神社の調査・写真撮影を行っていますが、神社庁に登録された神社だけでも130ほどあり、実際にはその数倍の神社や祠(ほこら)が存在しています。対馬は面積が700平方キロもあり、南北の移動だけで片道3時間。
 現在、旧6町のうち、厳原町・美津島町・豊玉町・峰町の調査が済み、107の神社の鳥居・狛犬・社殿などの撮影を行いましたが、神社は小さな集落や山中、岬の突端、無人島などにもあり、調査は困難を極めたのでした・・・(おおげさ)

 昨日は、以前から気になっていた上対馬町琴(かみつしままち・きん)ほか9社の調査を行いました。
 琴崎のコロク神社は、ワタツミ三神・磯武良などの海神をまつる古社(名神大比定)で、海に対して鳥居が立ち並び、松の大木が茂り、眼前には水平線がひろがるすばらしい雰囲気でした。

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ちなみに、

平成20年度は「野鳥」
パンフレットのダウンロードは「対馬のバードウォッチング」

21年度は「トレッキング」
冊子のダウンロードは「対馬トレッキングガイドブック」

(観光担当N)
記事カテゴリ: 対馬の式内社をめぐる
対馬の神社・磐座(いわくら)について
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 昨今のパワースポットブームの影響か、今年は神社関連の問い合わせが増加しています。
 対馬の神社について紹介いたします。

 神社紹介の際、よく引用される資料として、「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)があります。延喜式神名帳は、10世紀初頭に朝廷から官社として認められていた神社を一覧にまとめたもので、ここに記載された神社を一般に「式内社」と呼び、古くから格が高い神社として一種の社格になっています。

 全国の式内社の総数は、神社2861社(神々3132座)で、西海道(九州)では98社107座の式内社がありますが、実は、対馬には九州最大の29社29座、お隣の島壱岐には24社24座の式内社があり、2島で西海道の半分をしめています。
 この式内社の多さは異常で、この2島がいわば「神々の島」として認識されていたことがうかがえます。

 ちなみに、筑前(福岡)は11社19座ですが、より霊験あらたかとされる名神大社が多く、「福岡〜壱岐〜対馬」という朝鮮半島・大陸航路を朝廷が重要視していた事実が反映されているようです。
 一方、天孫降臨の地とされる宮崎・鹿児島には式内社は計11座(大社は1つ)しかないなど、奇妙な現象が見られます。(朝廷の抵抗勢力が多かったため?)

式内社
対馬 29社29座 (大社6社6座、小社23社23座)
壱岐 24社24座 (大社7社7座、小社17社7座)
筑前 11社19座 (大社8社16座、小社3社3座)


対馬の代表的な神社としては、

 対馬一の宮 海神神社(かいじんじんじゃ)、和多都美神社(わたつみじんじゃ)などがあります。

01_和多都美神社01.jpg
両社とも大海神・豊玉彦(とよたまひこ)の娘・豊玉姫(とよたまひめ)を祭り、豊玉姫が航海と安産の神であることから、かつての島主・藩主から庶民にいたるまで厚い崇敬の念を抱かれてきました。

01_和多都美神社02.jpg
拝殿・本殿も立派で、周辺の雰囲気も非常によいのですが、ちょっと奥を探索すると、意外なものが姿を現してきます。

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和多都美神社の本殿裏の参道を少し進むと、「豊玉姫の墳墓」と伝えられる岩塊が・・・。
古代の祭祀跡「磐座」(いわくら)です。
かつては、こうした磐座の周囲で祭祀を行い、卑弥呼のようなシャーマンに神々が憑依?し、神託を下したと考えられています。

時代が下ると、こうした交通の不便な地、野外での祭祀は廃れ、集落の近くに神社を建設してそこで神事を行うようになっていきます。
現在、大都市では、開発により取り壊された神社がビルの屋上に鎮座している例もありますが、対馬では今でも古代の祭祀の姿が色濃く残されています。

02_神社01.jpg
たとえば、厳原の某神社の本殿横の細い山道を少し登ると・・・。

02_神社02.jpg
磐座登場!圧倒的な雰囲気。一人で来るんじゃなかった、とちょっと後悔(-_-;)
対馬では、神社(建物)以外のこうした「本体」によく出くわします。
本体(磐座、原始林など)周辺を神域として俗人の侵入を禁止し、その代わりに、誰もが遠くから拝む場所として遥拝所=神社を建築していったのかも知れません。

03_白嶽.jpg
白嶽(しらたけ)です。
九州百名山のひとつとして登山客に人気の山ですが、対馬の修験道の中心地のひとつでもあり、いまでも神聖な山として島民に愛されています。
見方によれば、この白嶽自体が巨大な磐座なのかもしれません。

04_志賀神社.jpg
写真は、美津島町今里の「志賀神社」(しかじんじゃ)です。鹿ノ島という小島に神社があり、船でしか行けません。祭神は海神・磯良(いそら)。

対馬は89%が山地であり、四方を荒れる外洋に囲まれています。
耕地が少ない対馬の人々は、古代から海を渡る海洋民族であり、危険と隣あわせの日々を生きていました。
対馬のいたるところに鎮座する神々は、そうした人々の「祈り」から生まれたのかも知れません。
記事カテゴリ: 対馬の式内社をめぐる
対馬一の宮 海神神社
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 対馬の中央部・峰町の西岸に位置する木坂地域に、対馬一の宮「海神神社」(かいじんじんじゃ)が鎮座しています。かつて「街道をゆく13 壱岐対馬の道」の取材で、この地を訪れた司馬遼太郎は以下のように記述しています。

「街道をゆく13 壱岐・対馬の道」より
「対馬が神々の島であるというのは十世紀の『延喜式神名帳』に記載されているいわゆる式内社だけで二十九社もあり、これを肥前(長崎県・佐賀県)がわずか三社しかないことにくらべると、よくわかる」
「照葉樹で覆われたこのまるい伊豆山は、海上からその山容をみれば雲などを湧きあがらせてまことに奇(くす)しき山であるにちがいない。
 ここに対馬の海部(海洋民俗)たちが、自分たちの住まいである船と航海の安全をいのって海(わだつみ)の神をまつったのは、当然であるかと思える。」
「海神神社は、伊豆山の山頂にある。山頂への道は堂々たる石段で、登るのが大変だが、ただこのような土地にこれほど贅沢な石段が造営されていることにおどろかされた。」
「全山が原始林で、野鳥の天国のようになっている。その頂上の平坦地にある拝殿は社殿とともに大ぶりな建築で、みごとというほかない。社殿は、南西の海に向かっている。航海する海辺のひとびとを守りつづけてきたという感じが、社前に立つとわかってくるような気がする。」

境内由緒より
海神神社(かいじんじんじゃ)
所在地 峰町木坂伊豆山鎮座
主神 豊玉媛命
祭神 合殿 彦火火出見尊 鵜茅葺不合尊 外二神
この外に摂社・末社十七座
【由緒】
 本社は、延喜式神名帳所載、対馬上県郡の名神大社和多都美神社に比定され、神功皇后の旗八流を納めた所として八幡本宮と号し、対馬一ノ宮と称されたもので、明治四年に海神神社と改称、国幣中社に列せられた。
 本社の造営は、古く大宰府所収上県郡の貢祖数ヶ年分を以て充てられ、藩政時代には藩費によって、およそ四十年ごとに造営されたものである。
【祭礼】
 毎月一日、月次祭。二月十七日(古例は旧正月十五日)、祈年祭。旧八月四日、前夜祭。五日、古式大祭。霜月初卯、一宮祭。
 古式祭には神幸式、放生会、神楽があり、古くは鉾舞や舞楽があったが今は絶えた。
【宝物】
 八幡神像二体(木造)。阿弥陀如来像一体(銅造・新羅仏)。神代矛6本(青銅広矛・弥生時代)、鏡28面(高麗鏡・胡州鏡・和鏡)。仮面8面(木造・鎌倉〜南北朝)。
 これには国・県指定の文化財が多く、外に鈴、銀椀、銀匙、甲冑、棟札などがある。
【神山と社叢】
 神霊の鎮まるところを伊豆山という。イヅ(稜威・厳)とは神霊を斎き祀ることの意で、千古斧を入れない社叢は県指定天然記念物の原生林、いま「野鳥の森」として指定されている。


玄松子の記憶 「海神神社」
http://www.genbu.net/data/tusima/kaijin_title.htm

海神神社の位置
>> 海神神社(Googleマップ)
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