(一社)対馬観光物産協会ブログ

対馬の観光物産情報をお伝えします。
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「陸防」マニアと郷山砲台ウォーク
 みなさま、こんにちは。観光担当Nです。
 最近、ごく狭いエリア(3人ぐらい)で、「陸防」が熱いです。
(興味のない方は無視してくださいね(^^;))

 対馬は古代から国境の島ですが、幕末から明治時代は特にロシアなど列強の圧力を受け、明治〜昭和期にかけて全島が要塞化され、国防の最前線となりました。
 その時代の遺構として、31ヶ所もの砲台跡や、万関瀬戸(久須保水道)、水雷艇基地跡などが残されているのですが、その息吹をもっとも身近に感じられるのが、対馬のいたるところにある「陸軍境界標石」、通称「陸防」です。

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これが「陸防」。軍用地の境界を示す石標で、軍事施設跡・要塞地帯などで見ることができるのですが、開発や道路拡張で全国的に姿を消しています。
片面は「陸」。

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裏は「防○○○(漢数字)」
最近、山歩きに行くたびに注意して見ているのですが、対馬にはおびただしい数の「陸防」が残されているようです。

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明治の「陸防」は石造りで、手彫り感が味わい深いです。

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かなり埋まってたり。

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横倒しになってたり。

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彫った人がB型だったのか、「防」の字を彫り忘れてたり(殴)

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完全に埋没してたのにマニアの手で掘り起こされてしまったり。

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県道のガードレール下でコンクリートの一部になってたり。

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昭和の「陸防」はセメント製。見つけた時の喜びは明治期のものと比べると今ひとつ・・・。

これが見つけ始めると止まらない「陸防」の魅力です。
観光に役立つのか? 日常生活で役に立つのか? と聞かれれば、何とも言えないのですが・・・(-_-;)

ちなみに5月21日(土)に開催する「対馬砲台群 〜郷山砲台ウォーク〜」(美津島町尾崎地区)は定員を軽く超える応募がありました。
尾崎地区は、山県有朋をして「対馬ハ我西門ニシテ、最要衝ノ地」と言わしめた対馬のなかでも特に重要視され、明治期に3つ、昭和期に1つの砲台が築かれています。
「郷山砲台ウォーク」では、事故・怪我がないことを第一に考え、参加者の皆様に「陸防」の魅力を伝えられたら幸いです(目的が違うって・・・)

<観光担当N>
記事カテゴリ: 対馬砲台群を歩く
対馬砲台群を歩く 「西泊砲台編」、トレッキングルート調査 「撃方山編」
 みなさま、こんにちは。観光担当Nです。
 先日長崎で会議があり、その帰りに福岡(博多)のアウトドアショップを訪問しました。昨年からモニターツアーや情報発信でお世話になっているA&Fカントリー様、好日山荘様、THE NORTH FACE様に加え、今回あらたにFox fire様、IBS石井スポーツ様を訪問し、対馬ご来島のお声がけをしました。
 3月にオープンしたJR博多シティにはFox fire様が新店舗を展開し、4月27日(今日ですね)には天神にモンベル様の新店舗が開業します。
 アウトドア業界と博多の活気を感じた1日でした。

 さて、通常業務の合間にトレッキングルート調査・砲台調査を行っていますが、今回は、上対馬町大浦の撃方山(うちかたやま)ルート、上対馬町富ケ浦の西泊(にしどまり)砲台ルートを歩いてみました。


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 上対馬町大浦の北部にある撃方山は、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に山城が築かれたとか、防人の烽火台があったなどの伝承がある山です。

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 江戸時代の書物には、山頂からの眺めは絶景の名勝地として紹介されていたのですが、さすがに400年も経つと藪になってました(^^;)
 山頂部は方形をしており、人為的な手が加えられているのは確かなようです。

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 国土調査のため伐採され、測量杭があったのでたどり着けたものの、一部が自衛隊用地であり、山頂からの展望もあまりなく、トレッキングルートとしては利用が難しいようです。
 >>場所はここ

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 気をとりなおして東に移動、西泊砲台を目指します。上対馬町富ケ浦の尉殿崎(じょうどさき)にあるらしい、ということ以外に情報がなく、とりあえず旧道から半島の三角点を目指します。

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 いきなり海辺に迷い込み、石積みの構築物を発見。旧軍の施設っぽいのですが、詳細は不明。
※後日、下記の小松さんが西泊の方に確認したところ、「あー、あれは肥えタゴ(肥溜め)よ」とのこと。ショック(>_<)

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 道がわからず諦めかけていたのですが、「対馬観光ガイドの会やんこも」の砲台の専門家・小松さんに電話して情報をいただき、軍道を発見。

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 山頂まで登ると、昭和期の「西泊砲台」が姿を現しました。

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 砲台は基本的に高台にあるので、景観も抜群。新緑が綺麗でした。

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 砲座もありました。

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 軍道の端には、ガードレール代わり?の石柱が残っていました。
 山頂からの景観もよく、遺構もよく残っているのですが、軍道の崩壊が激しく、一般向けのトレッキングルートとしては利用が難しいようです。残念(-_-;)
 >>場所はここ

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おまけ1。ツシマヤマネコのつばきちゃんです。

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おまけ2。残念なことになっている(殴)棹崎公園の砲座跡。

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おまけ3。対馬のへそ地(へそ石)です。どこにあるかわかりますか?
記事カテゴリ: 対馬砲台群を歩く
対馬砲台群を歩く 「多功崎砲台・樫岳砲台・郷山砲台編」
 みなさま、こんにちは。久々の観光担当Nです。

 3月11日の東日本大震災は、大自然の猛威の前には人間の「想定」がいかにあやふやで脆いものなのかを、世界に知らしめる出来事でした。
 遠く離れた対馬でも、10年間継続していた釜山〜対馬航路が半年の運休になり、日本人観光客の皆様のキャンセルが続き、観光・物産ともに厳しい状況です。個人ではいかんともしがたい現状ですが、少しでも震災前の状態に近づけるよう、努力したいと思います。

 東日本大震災で被災されました方々と、大きなダメージを受けている東北・関東の観光・物産事業者の皆様に、謹んでお見舞い申し上げますとともに、被災地の復興・復旧を心より祈念申し上げます。


 さて、2月後半から私の担当部分のブログの更新が止まっていましたので、2月後半から3月までの動きをご報告します。

 2011年2月21日(月)、対馬市美津島町尾崎(みつしままち・おさき)地区の砲台跡を調査しました。尾崎は、対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)の南西部に位置し、重要な防衛拠点であったため、明治37〜39年に3つ(樫岳砲台・多功崎砲台・郷山砲台)、昭和9〜11年に1つ(郷崎砲台)の砲台が築かれました。
 郷崎砲台は自衛隊の訓練用地として立入禁止になっているので、今回は明治期の3つの砲台を紹介します。
 (対馬要塞ネタを書くたびに、いったい何%の人が興味を持ってくれるんだろう・・・とちょっと不安になりますが(-_-;))


 起点の美津島町尾崎は、対馬産高級養殖マグロ「トロの華」で有名な地域で、人気テレビ番組「田舎で暮らそう」の最終回で神田うのさんが訪れた場所でもあります。

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 尾崎地区に入るといきなり正面は海。左折して、さらに左手の山道に入ります。四輪駆動車なら奥まで進めますが、今回は集落内から徒歩で砲台を目指しました。

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 軍道に沿って石造りの側溝が続く道を進みます。途中、取水施設や砂防ダムなどの現代施設もありますが、軍の境界石標(通称、陸防)や石積みが100年前の日露時代を感じさせます。

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 ここが3つの砲台への道の分岐点で、右は樫岳砲台、前方は多功崎砲台、左は郷山砲台です。今回は尾崎集落から3つの砲台+観測所まで歩いて、全長12キロでしたが、さすがに距離が長いので、1つを選ぶとすれば、規模の大きさ、状態のよさ、景観などの点で、郷山砲台(左)がおすすめです。

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 分岐点の「成兵精鋭三塁成」の碑。その大きさにびっくり。

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 まずは正面の多功崎砲台。石積みの状態が非常によいのが印象的。海風が強いせいか、落葉樹が多く、木漏れ日が差し込む明るい雰囲気でした。

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 樫岳砲台には、28センチ榴弾砲(りゅうだんほう。知らなくても全然恥ずかしくない単語です・・・)の砲座跡が綺麗に残っています。

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 郷山砲台への道。いくつか分岐道があり、注意が必要です。右は郷崎砲台(立入禁止)、左は郷山砲台。

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 直進すると無線所(?)、左後方に登ると郷山砲台。

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 広く明るい砲台ですが、不法投棄の自動車が・・・(-_-;)

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 一部建物が崩壊していますが、かえって構造の重厚さを感じさせます。

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 朝鮮半島側に海が開けていました。100年前、国家の命運をかけ、近代の防人がここにいました。

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 歩き続けてウォーキング・ハイになっていたので、荒れた道の先にある飛岳観測所まで行ってみました。


 対馬の砲台跡は、

・今年11〜12月に放送されるNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」(原作・司馬遼太郎)の時代(日露戦争前夜、対馬が国防の最前線だった時代)に築かれたものが多い。

・砲台の立地条件から、見晴らしがよく、軍道が整備されており、歩きやすいものが多く、トレッキング・ウォーキングに適してる(例外もたくさんありますが・・・)

・無機質・機能的なコンクリート製の昭和の砲台に比べて、明治時代の砲台は、石・レンガなどを使用し、建築物のデザインとしても面白い。

・ほとんどの砲台が実戦では使われておらず、兵隊の幽霊とかも出ない(殴)

 などの特徴があり、砲台の数は、明治〜昭和で合計31にもなります。
 (うち、「大山(おやま)砲台」など、現物は実在しているのに、軍の記録(予算)上は存在しない「幻の砲台」もあります)


 興味を持たれた方は、2011年5月21日(土)に、尾崎の3砲台のうちもっとも雰囲気のよかった「郷山砲台」のトレッキングツアーを計画しています。告知は、新聞折込(対馬市内)か、当ホームページで行う予定ですので、募集告知後にお申し込みください。

 個人的に対馬要塞のガイドを予約してみたいと思った方は、「対馬観光ガイドの会やんこも」(TEL 0920-52-1566)まで。
 ※要塞は特殊・専門的な内容でガイドが少ないため、事前に日程調整が必要です。

<観光担当N>
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対馬砲台群調査 折瀬鼻(おりせばな)砲台・竹敷水雷艇隊基地
 「対馬神社群」の調査が一段楽したので、現在、「対馬砲台群」にはまっているNです(^^;)
 2月6日(日)と14日(月)に、「対馬観光ガイドの会やんこも」のみなさんと、砲台の現地調査を行いましたので、一部をご紹介します。
 その前に、ご説明を。

 対馬は古代から海上交通の要衝であったと同時に、外国にもっとも近い国防の最前線でもありました。
 江戸幕末の1861年(ちょうど150年前)、ロシア軍艦「ポサドニック号」が対馬の浅茅湾の一部(芋崎)を占拠し、島民に死傷者が出るという出来事(ポサドニック号事件)が発生しました。
 幕府にはロシア軍艦に対処する実力がなく、イギリス軍艦の力を借りてロシア軍艦を追い払うことができたものの、外国への無力さを露呈する象徴的な事件となりました。
(当時、海軍国家であるロシアとイギリスは、互いに牽制しあっていました)

 明治時代になり、ロシアの露骨な南下政策に直面した政府は、伊藤博文・山県有朋・大山巌などの重鎮を対馬に派遣し、その軍事的重要性を再確認。明治20年ころから対馬の要塞化が始まります。この工事は、東京湾要塞に次ぐ日本で2番目の要塞工事でした。
 日清戦争(明治27〜28年)後には、対馬市美津島町(みつしままち)の竹敷(たけしき)に海軍要港部が設置され、対馬が国防の重要拠点となった明治30年代(日露戦争:明治37〜38年)を中心に、対馬には明治〜昭和初期の31もの砲台が建設されることになりました。

 日露戦争から100年以上が過ぎた現在、砲台の多くは草木に埋もれて静かに眠りにつき、「近代土木遺産」や「遺跡」に近いものになっています。

【折瀬鼻砲台】
 美津島町緒方(みつしままちおかた)には、明治期を代表する「姫神山砲台」があります。規模も大きく、今年度、樹木の伐採や道路の一部整備を行ったため、緒方の集落から片道40分ほど歩けば砲台跡を見学できます。今回は、その先にある折瀬鼻砲台まで行ってみました。

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うっそうとした森のなかに、石造りの砲台跡が出現。

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100年以上過ぎているのに、堅牢なつくりです。

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井戸も発見。

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長年風雪に耐えてきた要塞ですが、防波堤の設置により潮の流れが変わり、崩壊が進んでいます。

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折瀬の灯台から神秘の島・黒島を望む。


【竹敷水雷艇隊の基地】
2月14日には、美津島町竹敷(たけしき)の海軍要港部跡を見学しました。
明治時代、日本は「清」と「ロシア」という大国と交戦して勝利しますが、この竹敷が重要な役割を果たしました。

話が長くなるので割愛(^^;)

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水雷艇(50トンほどの小型魚雷艇、日清・日露戦争などで活躍)のドック跡です。

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明治時代の堅牢な石積みが残り、近代土木遺産「A」ランクです。

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700トンという巨大な貯水タンク。

対馬の砲台のうち、

・豊砲台 (上対馬町豊) 昭和初期
・上見坂堡塁 (厳原町北里) 明治
などは、自家用車・レンタカーなどでそばまで行けます。

・城山砲台・城山付属砲台 (美津島町黒瀬) 明治
・姫神山砲台 (美津島町緒方) 明治
などは、徒歩(往復2〜4時間程度)で行けます。

・芋崎砲台 (美津島町昼ヶ浦) 明治
・折瀬鼻砲台 (美津島町緒方) 明治
などは、歩いて行けますが悪路です。雑草の繁茂する春〜秋はおすすめしません。

対馬要塞については、過去の記事もご参照ください。
http://blog.tsushima-net.org/?eid=640

そのほかの砲台は調査中ですので、またご報告します。
お楽しみに<(_ _)>

(観光(兼マニアック)担当 N)
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対馬要塞について
「国境の島・対馬」は、古代から現代まで常の国防の最前線でした。
(現在でも、航空・海上・陸上それぞれの自衛隊の基地があります)
幕末から第2次大戦まで、対馬には営々と要塞・砲台が築かれましたが、現在、これらの「砲台跡」「要塞跡」は草木に埋もれつつ、静かに眠りについています。
今回は、各時代の代表的な要塞を紹介します。
※資料により、砲台の種別・門数などに異同があります。

【第1期 日清戦争への備え】
芋崎砲台
工期: 明治20年着工、21年竣工
所在地: 対馬市美津島町昼ヶ浦
砲台種別: 28cm榴弾砲4門、射程7,900m
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【第2期 日露戦争への備え】
城山砲台
工期: 明治33年着工、明治34年竣工
所在地: 対馬市美津島町黒瀬
砲台種別: 28cm榴弾砲4門、射程7,900m
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姫神山砲台
工期: 明治33年着工、明治35年竣工
所在地: 対馬市美津島町緒方
砲台種別: 28cm榴弾砲6門、射程7,900m
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上見坂堡塁
工期: 明治34年着工、明治35年竣工
所在地: 対馬市厳原町北里
砲台種別: 9cmカノン4門、7cmカノン4門
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※「堡塁」(ほうるい)は、攻撃主体の砲台とは異なり、砲台等の後方防衛の機能を持つものを指します。上見坂堡塁は、ロシアが小茂田浜(対馬西海岸、元寇の古戦場)から上陸した場合の備えとして設計されています。


【第3期 第2次大戦前】
豊砲台
工期: 昭和4年着工、昭和9年竣工
所在地: 対馬市上対馬町豊
砲台種別: 40cmカノン2門、射程30,000m
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上見坂堡塁、豊砲台は自動車で行くことができます。
城山砲台は旧軍道がトレッキングルートとして整備されています。
姫神砲台・芋崎砲台への道は未整備で、ややわかりにくい状況です。

【おまけ その1】
対馬北端・上対馬町鰐浦(わにうら)の海栗島は、航空自衛隊の基地になっており、巨大なレーダー(球形)が国境の海を睨んでいます。
水平線の上に浮かんでいるのは韓国の陸影です。
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【おまけ その2】
667年、白村江の戦いの後に築かれた古代山城・金田城跡です。城山砲台同じ位置にあり、1300年前の山城と100年前の砲台が共存しています。
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【おまけ その3】
豊臣秀吉の朝鮮出兵時(16世紀末)に築かれた清水山城の本丸(一の丸)跡です。
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国境の島・対馬には、朝鮮半島・大陸進出の前線基地、国防の最前線としての歴史が刻まれてきました。
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